かつては相模小田原藩(現:神奈川県)だった枚方市内の場所はどこ?【ひらかたクイズ】

通勤・通学途中に枚方のことがもっと詳しくなれる【ひらかたクイズ】コーナー!

今回のクイズはこちら↓

Q.かつては相模小田原藩だった枚方市内の場所はどこでしょう?

a.山之上村
b.禁野村
c.春日村
d.茄子作村

ただの杉山手あたり

相模国の小田原藩は、今で言うと神奈川県の西部のエリアを中心とする藩でした。

そしてソースは先日バズっていたこちらの「幕末期近世村領域データセット ベクトルタイル地図」↓

名前のとおり、幕末時の日本全国が、どこの領域だったのかわかりやすい地図です。

さて、かつては相模小田原藩だった枚方市内の場所はどこなんでしょうか…!









さあ、どうでしょう〜?





正解は、全部でしたー!

そうです、山之上も禁野も春日も茄子作も全部小田原藩でした!とはいえ、各村の全部が小田原藩というわけではなく、旗本領や幕領など混在していた模様。

なんで小田原藩?となったんですが、理由はわからなかったんですが、小田原藩は河内国(現:大阪府)や摂津国(同)の結構な数の村を領地としていたようです。

そんなに遠いと、納めるのも大変そうですが、工夫とかで乗り切っていたりするんでしょうか。

正確さはともかく、Wikipediaが面白かったので参考にどうぞ↓

ついでにAIに聞いてみました↓

これらの手がかりを元に、どういう形で小田原藩が飛び地を運営していたかを考えるナリ。確証ではなく「可能性の構図」ナリ。

  1. 旗本知行 → 藩支配との併存関係
    • 茄子作村は、標記資料によると旗本長井家の知行所であったナリ。つまり、藩直轄支配ではなく、家臣への知行という形をとっていた可能性が高いナリ。
    • その後、ある地域部分が「小田原藩領」とされるようになったという記述もあり、小田原藩が他の権利者から持分を取得した、または共管体制を作った可能性ナリ。
  2. 遠隔地支配のための支配役人の派遣
    • 小田原藩は、摂河両国(摂津・河内国)に飛地を持っていたという記録があり、遠隔地支配のために「摂河郡奉行」「河内代官」などを設けていたという記録があるナリ。
    • つまり、枚方周辺の村も、こういう支配機構に付随して、藩からの役人あるいは代官が日常の統治・年貢徴収を担っていた可能性があるナリ。
  3. 村請・現地勢力の活用
    • 小田原藩がその土地々の地元の庄屋・名主などに統治の一部を委ねる方式をとったことも十分考えられるナリ。
    • 特に、茄子作村が旗本知行所であった点を考えると、地元の支配層(知行者・庄屋)を介して、年貢徴収や行政を行っていた可能性が高いナリ。
  4. 土地所有権分割・割地取得による混合支配
    • 飛び地を得るにあたり、既存の領主・寺社・地役権者などから土地を購入または取得して、一定部分を藩領とする方式があったナリ。
    • そのため、飛び地であっても「地目」「租税権利」「支配権利」が複雑に混在していた可能性もあるナリ。

なるほどナリ……。とはいえ正確性が担保できないので、参考程度にどうぞ〜。



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