「USJのあのレストランはほぼエド」―オープンからクローズまで働いた元スタッフが語るエドデベヴィックスの思い出

2018年2月にアップした「【思い出&写真募集】宮之阪のベルパルレに昔あったレストラン「Ed Debevic's(エド・デベヴィックス)」について」という記事。

これには大変反響がありまして、ひらつーにいろんな思い出や画像が寄せられました。
しばらくすると、ひらつーパートナーの1つであるBASECAMPの佐藤さんから連絡があり、佐藤さんのお母さんがEd Debevic's(エド・デベヴィックス 以下:エド)で働いていたとの情報をいただきました!

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(右が佐藤さん、左が佐藤さんのお母さん)

これはお話を聞くしかない!ということで、インタビューしてきたのがこの記事です。

佐藤さんのお母さんについて

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(佐藤さんのお母さん)

―何年くらいエドで働いていたんですか?

佐藤さんのお母さん(以下:佐藤母)「オープンからクローズまで働いていました。1988年?くらいから3〜4年くらいやと思います。私が33くらいの時です」

佐藤さん(以下:佐藤)「歳とか嘘ついたらあかんで」

―お母さんの英語の当時の名前は何だったんですか?

佐藤母「それは自分のことなので覚えていますが、恥ずかしいので秘密です(※オリーブだそうです!)」

―なんでエドで働こうと思ったんですか?

佐藤母「偶然なんですけど、下の子が3年保育に入って、お昼の3〜4時間が暇になった時、エドの求人を見つけまして。これいいわって思って受けに行ったら受かりましたね」

エドのスタッフについて

―他のスタッフさんについては?

佐藤母「私のようにお昼のランチタイムに働いていた主婦もいましたが、夜は学生さんのスタッフが多かったですね」

―学生の子らがイケイケの接客をしていたんですか?

佐藤母「そうなんですよ。学生さんと比べれば私達主婦は少し控えめだったかも」

―ローラースケートとかにのってたんですか?

佐藤母「のれませんよ(笑)そういうのは若い子にまかせてました」

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―外観について伺えますか?回転ドアがあったという情報がありますが…

佐藤母「あぁ回転ドアね(笑)1号線側にはダイナー列車という電車の形をした建物があって、その奥に建物っていう感じ。
エドのお店のコンセプトが1950年台、フィフティーズのイメージのお店やったんです。
だから店内にもジュークボックスがおいてましたし」

―ジュークボックスが?あ、ひらつーの記事にチラシには入店時にコインをもらってジュークボックスにつかって…って書いてますね。

佐藤母「そうでしょ。エドのジュークボックス専用のコインがあるんですよ。ホール担当のことをサーバーって言ってたんですけど、サーバーがコインを持っていて、ただで渡していました。

サーバーはお客さんが見えて、席の案内から注文、商品提供から精算まで全部一人でやる仕事でした。精算はポーチを腰につけて、席で会計するシステム。途中から精算は別のスタッフがすることになりましたが」

―アメリカ式ですね(笑)他にもひらつーには注文を聞きに来たらテーブルにお尻をおいてガムをかみながら接客ってありますが……

佐藤母「日本ではその当時考えられないでしょ?」

―今でもそれをされたらビックリしそうです(笑)研修でそのように指導される感じなんですか?

佐藤母「もう研修から。アメリカのエドから外人さんが教えに来まして、研修してくれてたんです」

―じゃあガムをかむのも?

佐藤母「噛まないといけないわけではありませんが、ガムを噛んでもよかったんです。そういうやり方やったからね」

チラシ
(読者さんからいただいたチラシ画像)

―読者さんから英語名についても来ています。キャサリン、キャシー、ナンシー、メアリー、ジュディー、サンディーとありますが……

佐藤母「それはみんな若い子ですね(笑)」

―(笑)そうなんですか、全部若い子(笑)お母さんも当時はポニーテールもされてたんですか?

佐藤母「30代でもポニーテールしてましたよ。ポニーテールして大きなリボンつけたりしていました」

―面接じゃなくてオーディション形式でスタッフを採用とありますが。

佐藤母「そう、そうなんです!」

―どんな感じだったんですか?

佐藤母「まずは試験を受けに行くでしょ。受かったら研修がステップ1から10くらいまであったと思うんですよ。最初は学科というか勉強的なことがあって、途中から実地も入ってくるんですよ」

―となると研修はしっかりしていた?

佐藤母「しっかりしていました。普通のお店みたいな感じではないです。ステップによっては時給も違っていました。若い子はできるけど、私はちょっとテンパりました」

―どんな研修をやってはったんですか?

佐藤母「お水は紙コップに取っ手付きのホルダーをつけるシステムでお水を出していたんですが、ホルダーを持ちながら、お水のピッチャーをもって、『こんにちは!』と応対しながら接客したり」

―アメリカンですね。

佐藤母「私ら日本人としても抵抗がありました(笑)もう一言勇気がなくて研修じゃ声が出せなかったりも」

―同僚の方はどれくらいいらっしゃったんですか?

佐藤母「お昼はわたしと同じような年代の子はわたしともう1人いまして、あとは20代のフリーターの子とか、社員さんが2〜3人いたんかな」

―社員の方もいらっしゃったんですか?

佐藤母「ダスキンが運営ですからね」

―オープン初日はテレビの取材もきていたとか。

佐藤母「あー来ていました。なんか芸能人もきていたような。
そういえば別の日に有名なレーサーの方が来店したこともあり、その時に写真を撮りました」

写真
(見せてもらった写真。左がお母さん)

―すごい。

佐藤母「最初は接客時にチップをもらってもよかったんですよ」

―ホンマにアメリカですね。チップをくれる人もいたんですか?

佐藤母「たまにいましたよ」

―ちなみにチップが一番多かったのは…?

佐藤母「ビックリして断ったんですけど、多かった時は5000円だったんです。食事代よりも高額」

―バブルおそるべし。スタッフ間でもニックネームで呼び合っていたんですか?

佐藤母「そうそう。そこに行けばみんな源氏名。同僚に外で会うとその名前を呼ばれて恥ずかしかったですね。イズミヤでお客さんに会うとエドの名前で呼ぶんですよ。顔と全然違う名前なので、イズミヤでお客さんと会うのは嫌でした(笑)」

―ちなみに働く時の1日の流れというのはどんな感じでしたか?

佐藤母「ついて、着替えて、朝礼があったんかな?ちょっとしたミーティングみたいなのがあって、自分の担当を見て」

―だいぶキッチリしていたんですね。

佐藤母「でもお客さんの横に座ってって接客は、なんか見かけは失礼みたいに思うじゃないですか?でもやることは全然失礼じゃないきちんとした接客をしていました。オーダーのときはやっぱり隣に座って聞いていましたが(笑)」

―そういうお店やってわかっていたら面白いですしね。

佐藤母「昼間は主婦の人なんかも見えていましたし、そういうタイプじゃない人の時は臨機応変に接客していました」

―ちなみに男性スタッフはどんな格好やったんですか?

佐藤母「アルバイトは普通の白いシャツに蝶ネクタイ、黒いズボンに帽子もありました。マネージャーはボーリングシャツ」

―男の人は厨房担当が多かったですか?

佐藤母「いえいえ、ホールも多かったですよ。」

―男の人もローラースケート履いたりとか?

佐藤母「男の子がよくそういうのやってました。あとはヨーヨーとか」

―ヨーヨーもやってたんですか?

佐藤母「ヨーヨーも男の子はパフォーマンスでやったりしていましたよ。子どもさんとかに」

―男性スタッフも横に座ったりとか?

佐藤母「あったんちゃいます?」


エドのメニューについて

―メニューで覚えてるのはありますか?

佐藤母「ポパイズ……グラタンチキン?ほうれん草がのってるのとか。シーフード…なんやったっけな?チャイニーズチキンサラダとか」

―見事にチラシに載ってないメニューですね笑

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(読者さんからいただいたエドのチラシ)

佐藤母「ああ、このメニュー。最初はハンバーガーが売りやったからね。チーズバーガーとか。
ハンバーガーはこのバスケットに入ってるでしょ?それを腕に3個もって。お皿も4〜5枚くらい持つっていうのを開店前に研修で教えてもらって」

―スタッフさんによってはローラースケートも駆使して?

佐藤母「そうそう。(チラシをみて)あ、あたしいつもコレきていました」

―これが制服やったんですね。

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(読者さんからいただいたエドのチラシ)

佐藤母「これね、三着くらい用意してもらえるんですよ。ピンクだけじゃなくて赤青白グレーとありまして、好きな色のを3着くらいもらって。
クリーニングもダスキンじゃないですか。だから持って帰るんじゃなくて出して帰るんです」

―クリーニングもやってるダスキンの利点ですね。そしたら制服についているバッジは私物なんですか?

佐藤母「バッジは私物。その子の個性でいろいろとつけて。あとはチーフをつけたり、イヤリングをつけたり」

―佐藤さんもエドにつれていったり?

佐藤母「夕ご飯によくつれてきてました。珍しいから喜ぶんです。ねえ陽介(佐藤さんの下の名前)?ようきたよね」

佐藤「よういったー。楽しかった」

佐藤母「サンデーとかもおいしかったんですよ。ファウンテンというコーナーがあって、私がファウンテン担当もしていて、私がつくって出していたんですよ。ファウンテン教育もしてもらっていたんで。ホットファッジサンデーが好きでした」

―どんなサンデーだったんですか?

佐藤母「美味しいんですよ。チョコレートの味で。ホットファッジ(チョコレートシロップのこと →画像検索)なんですけど」

―人気やったメニューって覚えてますか?

佐藤母「ホットファッジサンデーはやっぱり人気でしたし、ハンバーガーはチーズバーガーがようでてたような。ブルームーンバーガーはブルーチーズのクセがあるからあんまり。
あとフライドポテトのソースがもう美味しいんですよ。チーズソースっていうのが」

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(読者さんからいただいたエドのステッカー画像)

―他に美味しかったメニューとかはありますか?

佐藤母「チャイニーズチキンサラダ。美味しかったですよ。
あとBLTも売りなんです。ベーコン・レタス・トマト。今ではどこにでもありますけど、その時BLTなんかは珍しかったんじゃないですか」

―エドではオリジナルのシャツなんかも売ってたんですか?

佐藤母「売ってましたよエドグッズ。シャツとか腕時計とか。ボーリングシャツね」

―ミートローフというのもあったんですか?

佐藤母「四角いハンバーグみたいな」

―ハンバーガー以外にもいろいろジャンルがあったということですか?

佐藤母「ケーキなんかも厨房に焼く設備がありましたし。ブラウニーとか」

―その時代にブラウニーってすごいですね。先取りしてる。名古屋や江坂にもあったと書いてますが…

佐藤母「ありましたね。梅田にスチュードベーカーズっていうのも」

―デビルズケーキって覚えてはります?

佐藤母「ブラウニーじゃなくて?どんなんやったんやろ。もしかしたらブラウニーがデビルズケーキやったんかな?あとシェイクもあったよ。モルトシェイクとか」

―モルトってビールにつかう?

佐藤母「そうそう。同じ系列のミスタードーナツのシェイクと多分同じものです」


お店の外観や内装について

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(読者さんからいただいたチラシ画像よりダイナー列車)

―ダイナー列車ってこれですか?

佐藤母「そうです!こんなのが国道1号線側にそういう席があったんです」

―今でいうとどのあたりに?

佐藤母「くら寿司のほうかな?サーティーワンあたりにエントランスがあって。全部で100席くらいあったんじゃないですか?ダイナー列車の席の番号が90番代だったので」

―開店当初のベルパルレはエドとTSUTAYAとマクドナルドだったんですか?

佐藤母「そうそうそう3店舗。あれが今やったらもっとウケたんでしょうね」

―時代を先取りしすぎた感がありますね。

佐藤母「真ん中のフロアではお客さんでもスタッフでも踊っていいエリアがありました」

―踊るお客さんも結構いらっしゃった?

佐藤母「いや、そんなにいませんでした(笑)でも踊る方もいましたよ。
お店の中に入ると1950年台の雰囲気なので、踊るような気分になるというか」

―今でいうハロウィン的な雰囲気ですかね。中の構造はどんな感じでしたか?

佐藤母「エントランスがあって、バーがあって、階段をちょこちょこおりたら大きなホールみたいなところがあって、ダイナー席があって……。キッチンが奥にあってファウンテンがあって」

―ぜひぜひ絵でお願いします。

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(描いてもらった店内の構造)

USJのあのレストランはほぼエド

佐藤「すどんさん、USJのマリリンモンローがいるところのレストランを知らないですか?」

佐藤母「そうそうあそこや」

―ちょっと知らないです。そこが似てるんですか?

佐藤「全く一緒なんですよ。電車が前に飛び出したみたいなデザインになっていて、中もエドとほぼほぼ一緒。80%くらい一緒」

佐藤母「そうやわそうやわ」

佐藤「ジュークボックスもおいてあって、外観に関してはほぼ一緒です。柱とかもそっくり」

―そんなに似てるんですね(笑)

佐藤母「似てる、私も思った」

佐藤「形がちょっと違ったんですが、ほぼエドですね。ほぼエド」

―USJのマリリンモンローがいるレストランですね。

佐藤「そうそう、だからパクったんちゃうかな。そこがそのまま枚方にあったみたいな。(※パクったんじゃなくて、元ネタはアメリカングラフィティ(→Wikipedia)という映画だそうです)

―(画像検索して)どうですかコレ

佐藤母「あぁこんな感じ。ここにジュークボックスがあって」

―お母さんまでそういうなら、ホンマにほぼエドですね(笑)佐藤さんが覚えてるかぎりの外観も書いてもらってもいいですか?

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(佐藤さんが描いた絵と補足)

佐藤「電車がこういう風にあって、これが正面なんです。ここからしばらく向こうはサーティーワンの方なんです。
サーティーワンの奥から斜めに階段でドアで回転ドアがあって。電車は壁に埋め込まれてる。少し高さがありました。USJに行くたびにこの感じを見て懐かしいというか」

佐藤母「もしかしたらUSJもダスキンが担当やったりして」

佐藤「柱もホンマこんな内装でこんな感じで。エドパクリしたなってこれ(笑)中のキッチンのところもホンマにこんな感じなんですよ。ほぼエドといっても過言ではないです」

―記事タイトルに採用させていただきます(笑)

佐藤「エドの色してるしね。(USJのドライブインレストランが)」

佐藤母「そうそうブルー」

二人が語るエドデベヴィックスの思い出

―エドの思い出ってありますか?

佐藤母「スタッフのサークルとかもあって。いろいろありましたね。何回かは一緒に夏の海にいったりしました。家族行ってもよかったんで陽介も連れて」

―遊ぶ時の呼び名に困りそうですね(笑)

佐藤母「若い子が圧倒的に多かったですが、子どももうかずにみんな可愛がってくれました。寅さん(スタッフの名前)とか。マダム(同左)はめちゃくちゃおもしろいんですよ、会話がめっちゃうまい。お昼の顔でした」

佐藤「マダムは最高ですよ。マダムが番長みたいでした」

佐藤母「お昼はマダムと私でがんばるみたいな」

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―当時女子大生やった方も今は50代くらいですもんね。

佐藤母「外大生の子なんかも多かったですよ」

―働いていてどうでしたか?

佐藤母「楽しかったですね。3〜4時間あっという間でした。」

―佐藤さんは覚えている思い出とかあります?

佐藤「入り口のくるくるまわる回転ドアとかみたことなかったですしね。エドと……市駅前の三越もやったかな?回転ドアなんてないでしょ。あれは重厚感があってよかったですね。あれは今ほしいですね、(BASECAMPに)つけたいですね!今でこそ主流は水春みたいにバーがガガってなるような感じになっちゃいましたが、昔は1人ずつね。あの回転ドアに何人入るとかね?」

―回転って子どもの時やったら絶対盛り上がるやつですよね。

佐藤「怒られたりしましたね」

佐藤母「あれはやっぱり結構注意していましたね。お子さんが見えたときは」

佐藤「僕としてはやっぱりスタッフの寅さんに会いたいですね。みんなローマ字やったのに一人だけ寅さんやったんですよ」

佐藤母「いやあのひとも英語名あったんですよ、ジョグヘッド。でもみんな寅さん寅さん言ってた」

佐藤「そんなジョグヘッドこと寅さんがいてまして、その人がホンマに僕ら子どもに優しくて、めっちゃ面白いこというし、ヨーヨーがめっちゃうまいんですよ」

―ヨーヨー(笑)

佐藤母「マジシャンみたいな感じでわざわざ色々と見せてくれるんですよ。」

佐藤「退屈させへんねやな」

―寅さんというのはフーテンの寅さんの漢字であってますか?

佐藤「まぁおそらく!サインとかはもらったことはないんで。
エドの寅さんとTSUTAYAの和田さんはもう僕にとって伝説の店員さんやで。TSUTAYAの和田さんはたまにこの辺でもみかけたんやけど、和田さんだけはTSUTAYAの店員さんやのに常にリーゼントやってん。でもってめちゃめちゃ声が渋い。めっちゃダンディーで、こんな大人になりたいな〜って思ったんがエドの寅さんとTSUTAYAの和田さん。子どもにだいぶ夢を与えた二人やった。まだTSUTAYAがエド側に出られたときね」

―あっち側から外に出られたんですか?

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佐藤「サーティーワンのガチャガチャがあるところ、真ん中あたりに出入り口があってん。TSUTAYAも今と全然かたちが違うからね。寅さんも名乗り出てくれたら、一度あの時のお礼が言いたいんで。人に喜んでもらおうっていうのを寅さんから学んだっていうのを、そこだけは伝えたいなと」

―大きいですね。

佐藤「おかげで、今すくなからず喜んでもらえてるのかなって。」

―そんなにエドに行ってたんですか?

佐藤「めっちゃ行ってたんですよ。どれくらいかハッキリ覚えてないですが、いかへん月はないですし、週1くらいは行っていたような」

佐藤母「結構いってたで。だって喜ぶんやもん」

―おいくつくらいの時ですか?

佐藤「小2〜3くらいの時ですね。水入れるカップが変わっていて。円錐なんですけど、砂時計みたいなホルダーですぽって挿す。
中に新幹線のトイレみたいに中に切れ目が入ったゴムが入ってて……」

―図解してもらってもいいですか?笑

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佐藤「この切れ目のところに指を入れて遊んだり」

―珈琲の青山っていうのがそばにあったってひらつーに投稿がありました。

佐藤母「ありましたよ、隣に」

―ベルパルレ内に?

佐藤母「いえ逆のガリバーがあるところが珈琲の青山やったんですよ」




以上になります!
エドデベヴィックス世代の方々、ちょっとは懐かしい気持ちになれましたでしょうか。

僕は実際には見たことがないので、想像するしかできませんが、ずいぶんと時代を先取りしたレストランがあったんだなぁという感想です。

ちなみにエドのスタッフの同窓会なんかも稀に開催されているそうな。その同窓会はスタッフ面では一晩限りのエドの復活とも言えるんじゃないでしょうか。

エドデベヴィックスの存在をネット上に残せたことがひらつーとしても本望です!

ライター:すどん@ひらつー すどん@ひらつー