楠葉にある勝海舟が作った砲台跡が国の「史跡」に指定されるそうです

もうすぐ「楠葉台場跡」が国の「史跡」に指定されるそうです。


富士山など11件を史跡指定へ 文化審議会が答申 (1/2ページ) – MSN産経ニュース

楠葉台場跡は幕末の1864年に勝海舟が総責任者となって作られた砲台の跡です。場所は楠葉中之芝なので枚方のホントの北端。→地図
1864年といえば「龍馬伝」で言えば望月亀弥太が死んだ池田屋事件があった年ですね。
もともと外国船が淀川から京都に侵入しないように作られたんですが、戊辰戦争のときには幕府軍と官軍の戦いで使用されたそうです。

史跡指定はまだ決定ではないんですが、文化審議会というところが今回富士山や楠葉台場跡などを史跡に指定するよう文部科学大臣に答申して、そのまま指定される予定だそうです。富士山と同時ってのもまたなんかすごいですね。

文化財の種類っていろいろ名前があってややこしいですが、「文化財」(→Wikipedia)には「有形文化財」「無形文化財」「民俗文化財」「記念物」「文化的景観」「伝統的建造物群」があって、「史跡」(→Wikipedia)は「記念物」のうちのひとつです。

じゃあ「史跡」に指定されたら国からお金でも出るのかというとそのへんのことは調べてもよくわからなかったんですが、「国の史跡だ」と言えることがまず観光資源として使えるという感じでしょうか。

楠葉台場跡の写真は以下のサイトなどに掲載されています。「跡」なのであんまりパッとわからないですけどね。
楠葉台場(砲台)跡 大阪府枚方市文化財情報
楠葉台場跡 城めぐ.com
大阪・枚方 楠葉台場跡 マッツゥの寄り道日記

こちらには発掘調査のときの画像がありました。PDFファイルです。
kuzuha-daiba20080223-4.pdf 枚方市役所

楠葉台場跡の立て札に書かれている説明

元治元(一八六四)年、徳川幕府は大坂湾から京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸のここ楠葉と右岸の高浜(島本町)に砲台(台場)を築き、翌年には楠葉関門を設けました。高浜砲台にはカノン砲4門が設置されていたので、楠葉砲台にも同様に設置されていたと考えられています。
慶応四(一八六八)年の鳥羽・伏見の戦いで、高浜砲台を守っていた津藩藤堂家は、幕府軍の不利を見て官軍に内応し、小浜藩酒井家が守る楠葉砲台に砲撃を加えたので、淀川を挟んで両台場は交戦状態になりました。楠葉砲台は、伏見、淀から敗走した幕府軍で混乱を極め、砲弾が尽きたので砲を破壊して退去しました。
久修園院の南西方に砲台跡の土塁が残っていましたが、明治末期の京阪電車の敷設に伴い土塁の土砂は運び去られました。

さすが藤堂家。
戦国時代の藤堂高虎って何度も主君を変えて戦乱を生き延びたってイメージがありますが、幕末でも藤堂家は状況を読むのがうまかったんですね。

それにしても枚方も戊辰戦争の舞台だったと思うと歴史がリアルに感じられておもしろいですよね。司馬遼太郎の「関ヶ原」とか「竜馬がゆく」など歴史小説を読むと意外と枚方って出てきますよ。

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