ずばり一言で言うとこれってなんなん!? 市駅から徒歩圏内の古墳時代の棺や鍵屋資料館などを街ブラ歴史解説!

枚方市役所×枚方つーしんで、枚方市内の知られざる文化財魅力をお届けしているコラボ企画!
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歴史にまつわる場所に立っているこんな説明看板を…
「つまり一言で言えばなんなん!?」
っていうのを枚方の街歩きをしながら、枚方市教育委員会 文化財課の方に教えてもらっていきます。

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第一弾はくずはを巡り第二弾は百済寺跡などを、そして今回は枚方市駅〜枚方公園駅周辺の「枚方宿」を巡ります。

前回の記事では、枚方宿の東見附からくらわんか五六市でも賑わう三矢公園までをゆっくりと歩きました。まだ読んでいない方はそちらもどうぞ。
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(ずばり一言で言うとこれってなんなん!? 市役所×ひらつーの街ブラ歴史解説企画の第3弾は秀吉&家康と関係の深い枚方宿!)


今回の登場人物も前回に引き続いてこちら↓ 

枚方市役所産業文化政策課 川嶋さん
川嶋さん 
川嶋さん

文化財コラボ企画のレギュラーで積極的に発言する生徒のような存在。ひらつー読者の奥さまに頭が上がらない。座右の銘は「愛妻家と恐妻家は紙一重」。ラーメン座談会にも登場

枚方市教育委員会事務局文化財課 井ノ上さん

柔らかな雰囲気の中に冷静さと知性を持つこの企画のキーマン。枚方の歴史を教えてくれる先生。

枚方つーしん カトゥー


ひらつーの広告担当。アラフォーになり歴史に興味がわき始めた今日この頃。

枚方は宿場で栄える前に
◯◯を中心に栄えていた?

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枚方宿本陣のあった三矢公園を出て、さらに枚方公園の方へ進みます。

実は、枚方宿はもちろん宿場町やったんやけど、もともと寺内町(じないまち)やってん。
寺内町ってお寺を中心に栄えた町ってことですよね? となると、中心になっていたお寺はどこなんですか?

今の願生坊っていうお寺なんやけど、これに関しては、一言で語れへん歴史があるねんな〜。
それを「ずばり一言」で言ってもらうのが今回の企画です。
…改めて難しい企画やな(苦笑)

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浄念寺のあたりまで来ると、このあたりの歴史を解説をした看板がありました。

地図ではこのあたり↓

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歴史に興味のある人には面白い内容だとは思うのですが、そうでもない人には漢字は多いし、知らん人の名前とかお寺の名前とかがつらつらと書かれていて…

…やっぱ途中で読むの無理になります!解説をください!
「寺内町」っていう字は出てくるね。さっき「一言では語れない」って言うてた長い歴史がここに書いてあるわ。

要するにこのあたりは順興寺(じゅんこうじ)っていうお寺を中心に栄えて、そのお寺には蓮如(れんにょ)の子どもの実従(じつじゅう)って人がおって…

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詳しい話はこのあと行く願生坊(がんしょうぼう)へおじゃました時にしましょう。

三十石船とくらわんか舟に
熱い視線を送った場所?
続いて向かったのは…
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まわる予定にはなかったとこなんやけど…

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川嶋さんが案内してくれたのは、堤防の手前の場所。

地図ではココ↓

歴史街道看板
メインの通りから少し離れてるから知らへん人も多いのよ。だから、俺が教えな誰が教えるんや、みたいな。

ここは一言やるよ!

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ずばり「淀川をチェックする役所」

船番所ってところがあったんよ。
淀川を上下する船の監視施設です。船切手(許可書)の交付などをしていました。
アツい想いが伝わりましたね(笑)

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ということで階段を登って…

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堤防から淀川を見てみました。(※こんな風にチェックしていたかはわかりません。)

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今はこんな風に見えますが、昔はこんな堤防もなかったので、淀川がもっと手前まできていたんだそうです。

このあたりから淀川をチェックしてたってことですね。でも、 なんでここは必ず案内されるんですか?
別に船番所が好きやからとかそういうこだわりじゃないねんけどね(笑)

見逃してしまいがちなスポットやから、せっかくこのあたりまで来たら皆さんぜひ寄ってみて欲しいな〜。

所在地
枚方市堤町10

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あの乗り物で乗り付けられた
昔の “ちょっと他とは違う” 旅館

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寄り道しながら枚方宿を歩きます。

続いてやってきたのは…

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市立枚方宿鍵屋資料館。

地図ではココ↓

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看板もありますが、ずばり一言で言うと?

「昔の旅館」やな。あ…
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早速ペンを入れる井ノ上さん

もともとは餅売りをしていて、商人宿、船待ちの宿になって、蒸気船の乗降場になって、料理旅館を経て、今は歴史を伝える資料館です。

なので正しくは…
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「昔の船待ち宿」ですね。

鍵屋さんが普通の宿屋じゃないところは、建物の裏手が船差場になっていたことなんですよ。街道沿いにあった他の宿屋とはひと味違ったんです。

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施設の一部は無料で見学できます。

ちなみに船待ち宿感って残っているんですか?
はい、ぜひ展示室に行ってみてください。(※ぜひ読者の皆さまはご自身の目で確かめてみてください!)
ということは宿の裏まで乗り付けて宿泊したり舟を待ったりっていう、船待ちの宿やったんですね。
そうですね。京街道は整備されていましたが、大坂の方へ向かう「下り」はやっぱり船の方が早かったですし、上りの運賃は下りの倍額だったので、下りは船に乗る人が多かったんです。

枚方宿は片宿って言われていて「片方だけの通行量がすごく多かった」んですね。
下りは船っていうことは…京都に行く「上り」で京街道を歩く人が多かったということですか?

その通りです。下ってくる人たちはちょっと休憩しよか、ということでここに寄って、泊まるというよりは休憩されたんです。

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船待ちの宿でもあったし、休憩される方も多かったと。
そういう歴史もあるので、後に料亭として栄えていくっていう形になりますね。
休憩するお客さんに食べものを出していたから…そういうことなんですね。

市立枚方宿鍵屋資料館

所在地
枚方市堤町10-27
開館時間
9:30〜17:00(入館受付は16:30まで)
休館日

毎週火曜日(ただし、祝日の場合は開館、翌日休館)

年末年始(12/29~1/4)
入館料
大人:200円/小中学生:100円
関連リンク
市立鍵屋資料館 公式ホームページ
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今の堤防のキッカケになった
未曾有の大洪水を記した石碑

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ようやく枚方宿の西端「西見附(にしみつけ)」に到着。

地図ではココ↓

ついに西見附ですね!ここからまた旅に出るわけですね。

ちょっと宿場町のテーマから外れるけど、ここまで来たらぜひ寄って欲しいところがあるねん。

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と、川嶋さんが案内してくれたのは…

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明治十八秊(年)淀川洪水碑という石碑
※「秊」は「年」の旧字

地図ではココ↓

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これは明治18年6月18日・7月2日の豪雨によって、三矢村・伊加賀村の淀川堤防が二度決壊して北河内一円を水没させたという水害があったことを記した石碑なんです。

その濁流は大阪市中にも及んだほどの大水害で、今でもこの辺りに住んでる人は「伊加賀切れ」って言ったら、もうこれのことやってわかるんです。わりとお年を召されてるおじいさん、おばあさんたちは、そのまたおじいさんとかおばあさんに「伊加賀切れの時は大変やった」っていう話を直接聞いてはる方もいはって。
昔は建物が淀川に接していたので、洪水などで川が氾濫すると大変でした。今は堤防があって、淀川河川公園もあるので淀川まで遠いですけど。

明治18年の時は今のような形じゃなかったってことですね。だから決壊した時の被害も大きかった…。
聞くところによると、昔は淀川がもっと蛇行していて。だから川をなるべくまっすぐにする治水工事が繰り返された結果、今の淀川は割とまっすぐになってるんよ。
なるほど…今の堤防ができあがる前にはそんなことがあったんですね。

明治十八秊淀川洪水碑

(めいじじゅうはちねんよどがわこうずいひ)
所在地
枚方市桜町3

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枚方宿の発展のいしずえ
ことの起こりは◯◯町

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続いて一行はとあるお寺へ向かいました。

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ここがさっきの話に出てきた願生坊です。

地図ではココ↓

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蓮如さんの像もありました。

ここには看板はないですけど、ずばり一言で言うと何でしょうか?
ここを中心にこのあたりを含めて…
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「ことの起こりは寺内町」

枚方宿を語る上で、お寺は欠かせないポイントっていうことやね。
このあたりは元々「寺内町」として順興寺を中心に栄えていました。その後、蓮如の子どもの実従という人が、順興寺に入寺します。
蓮如は歴史で習ったかもしれんけど、浄土真宗のなんて言うたらいいんかな…

中興の祖(ちゅうこうのそ)です。

親鸞(しんらん)が浄土真宗(じょうどしんしゅう)をおこしたというのはご存知と思うんですが、時代が下ると当初のような繁栄は見られなくなり、一時期、衰退の一途を辿ったことがありました。「これはあかんぞ!」って途中で盛り上げた人こそが蓮如です。
それを中興の祖っていうんですね。その蓮如の第27子が実従っていう人ですか?え?27番目の子ども?
要は一夫多妻制じゃないねんけど、蓮如さんには子どもがたくさんいたわけですよ。

中興の祖「蓮如」の子どもの「実従」が順興寺に来て、順興寺を中心にさらに町が栄えていったという歴史ですな。
なるほど。じゃあここは枚方宿を語る上ではポイントとなる場所なんですね。
そうやね。宿場ができてから栄えたわけじゃなくて、もともと寺内町として栄えたまちやったからね。
その順興寺は焼失したとされています。慶長16年(1611年)に再興され、天和2年(1682年)に願生坊と改称されました。この願生坊は「東御坊」、これに対し浄念寺は「西御坊」と呼ばれ、人びとに親しまれました。

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願生坊の入口部分

建物にも注目していただきたくて、ここは「妻入り」という形で、建物の妻側に出入り口があります。

妻とは棟と直角になる側のことです。なので建物の短編が妻となることが多いです。

これぐらいの大きなお寺になると建物の平側(棟と並行する側)に入口があるところが多いのですが、願生坊は妻入りなんです。

言われてみればそうやね。
平入のお寺ってよく見たことがあると思うんですが、ここはそうじゃないという珍しい特徴があります。
規模の大きなお寺としては作りも珍しいということですね。

願生坊(がんしょうぼう)

所在地
枚方市枚方元町6-61

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秀吉が建てた御殿跡?!

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願生坊をあとにして最後の目的地へ向かいます。

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やってきたのは万年寺山御茶屋御殿跡展望広場。

地図ではココ↓

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御茶屋御殿とは一体?

豊臣秀吉が1595年に建てさせたとされる建物やね。お茶を飲みながら淀川を見下ろせる景色のいいとこやからね。

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御茶屋御殿跡からの景色

そうですね。この地は眼下に淀川を見下ろし、遠く大阪平野から、摂津・丹波・山城の山々を一望できるから、この地を選んだのではと考えられています。

あと、ここまで来たので遺跡の棺(ひつぎ)も良かったら撮ってもらえたらと。
え!棺があるんですか?
御茶屋御殿があった頃から時代が遡るけどね。ここやね。

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あ、ほんまや!あった!

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※説明の都合上、棺の近くに立っています。読者の皆さまは立ち入りをご遠慮ください。
平成17年(2005年)に調査して、それで出てきた古墳時代のものです。
縄文時代の次が弥生時代で、その次が古墳時代…って、めっちゃ古いじゃないですか!井ノ上さんの足元にあるのは何ですか?
これは石で作った棺の底になります。石を組み合わせて箱型にしたものです。ここに亡くなった人を寝かせていたんです。

ここからは身長約170cmと思われる男性の人骨も出てきたんですよ。
170cmって、古墳時代にしたらめちゃめちゃデカいですよね。
そうですね。枚方市内には禁野車塚古墳とか牧野車塚古墳っていう大きな前方後円墳があります。古墳っていうと、カギ穴のような形をしたお墓をイメージされる方もいると思うんですが、ここは残念ながら墳丘の形がよくわかっていないんです。

でも、実際に調査をしたらこういう棺だけ出てきたんです。

あと、見た目ではわかりませんが、同じ遺跡内から中世のお墓も見つかっていますよ。

御茶屋御殿跡の奥まったところにあるのででご存知ない方も多いんですが、よかったら是非こちらにも足を向けてほしいですね。

万年寺山御茶屋御殿跡展望広場
(まんねんじやまおちゃやごてんあとてんぼうひろば)

所在地
枚方市三矢町3-24

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取材後は、御茶屋御殿跡のふもとにある草々徒(sousou)さんのランチにおじゃまして…

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大豆ハンバーグ 1,000円(税別)

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草々徒カレー 1,000円(税別)

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季節のごはん 1,000円(税別)
※隔週で変更されます。

などなど、各自好きなランチメニューをいただきました!
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ごちそうさまでしたー!

草々徒(sousou)

所在地
枚方市枚方元町1-18
営業時間・定休日

■LUNCH
平日、土曜日11:00-15:00(L.O 14:00)
日曜日、祝日の月曜日11:00-16:00(L.O 15:00)
(定休日:月曜日(祝日は営業))
■DINNER 17:00-22:00(L.O 21:00)
(定休日:日、月曜日)
電話番号
072-846-2811

関連リンク
公式HP

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カトゥーくん、面白くまとめてや。(カメラ目線で)
大豆ハンバーグ美味しいですわ〜(聞いてない)

― 枚方宿編これにて完結!

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以上、前回と今回の全2回に分けて枚方宿周辺をご紹介しましたがいかがでしたか?

枚方宿の知っていたようで知らなかった魅力、ぜひ皆さんも実際に足を運んで体感してみてくださいねー!

枚方宿編 前編はコチラ

便利なまとめ記事をどうぞ!



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