歴史新書では異例のヒットとして話題の呉座勇一著「応仁の乱」で楠葉の地名をとって名字にした『楠葉天次』が紹介されてる。父は天竺人

歴史新書では異例のヒットとして話題の呉座勇一(ござゆういち)さん著「応仁の乱」で、楠葉の地名をとって名字にしたという『楠葉天次』が紹介されています。

応仁の乱-1708111
応仁の乱といえば、教科書でも習う有名な内乱なので、何が行われたかはともかく、名前はおそらく大半の方がご存知なんじゃないでしょうか。(→Wikipedia

そして呉座勇一さんが書いた歴史新書「応仁の乱」は、NHKがヒットをとりあげるほどの売れ行きを誇る本。「地味すぎる大乱」「スター不在」などのキャッチコピーも話題ですが、どうやらTwitterの歴史クラスタの方々の中で話題になり、そこから人気に火がついたそうです。

応仁の乱は京都が主な舞台ですが、現在の枚方市がある河内国の守護大名も重要なポジションとして登場するので、枚方市に関わることもたくさんあるのでは?と思い調べたところ、278Pのうち4ヶ所で枚方が登場しました。

最初に出てくるのが第二章「応仁の乱への道」のP53で、河上五ヶ関の1つとして禁野の文字が登場。禁野といえばクイズで「禁じられた野原」としても紹介した、現在は市立ひらかた病院などがあるエリア。作中ではおそらく淀川にあった禁野の関所のことを指しているものだと思われます。

市立ひらかた病院-1612174
(禁野本町にある市立ひらかた病院)

続いても第二章のP63。記事タイトルにした楠葉天次(→Wikipedia)の長男、楠葉元次の名前がさらっと登場。

3つめは第四章「応仁の乱と興福寺」のP132で、その1ページは楠葉天次に関することでほぼ埋め尽くされているほどの楠葉天次推しのページ。そこに天次のお母さんの出身地である河内国樟葉郷(現在の枚方市)から地名をとって楠葉に改姓したとの記述もあります。天次のお父さんは天竺人だそうですが、アラビア人やインド人など諸説あるそう。そこからP134あたりまでは前述の長男、楠葉元次に関する内容も。

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(現在のくずは)

最後は第六章「大乱終結」のP204。河内牧(現在の大阪府枚方市)という単語が登場します。
河内牧は枚方市史に載っていまして、楠葉牧のことを指すそうです。
楠葉牧は今の楠葉エリアよりももっと広く、田宮あたりまで含んでいたんだとか。

以上が僕すどんが発見した呉座勇一著「応仁の乱」における枚方と関係ありそうな部分でした!
歴史を扱う本は初めて読んだんですが、こんなにも面白いものとは思わなかったというのが僕の感想です。

枚方と関係ある記述があるかどうか探しながら読むと、より楽しめた気もするので、本屋さんで見かけた時は、枚方と関係あるところがいくつかある本だと思って、手にとってみてはいかがでしょうか。

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