枚方出身監督による映画「話す犬を、放す」が本日3月25日より梅田にて公開。監督にインタビューしてきた

枚方出身の熊谷まどか監督による映画「話す犬を、放す」が本日3月25日よりテアトル梅田にて公開されるようです。

『話す犬を、放す』はつみきみほ(→Wikipedia)さんが主演の映画で、母親が幻覚が見えるというレビー小体型認知症にかかってしまったところから始まるお話。詳細は上記リンク先をどうぞ。

今回は上記映画の監督をつとめる熊谷(くまがい)まどかさんが枚方出身という情報を、リビング京阪さんより教えてもらったので、リビング京阪さんと一緒に監督にインタビューしに行ってきました。
なお、リビング京阪のサイトにもひらつーとは違ったかたちでまとめられていますので、ぜひぜひ御覧ください。 

熊谷まどか監督のプロフィール

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(熊谷まどか監督)

1968年生まれの枚方育ち。
小学校3年生の時に兵庫県川西市から香陽小学校へと転入し、そのまま東香里中、香里丘高校へ進学。同志社大学を卒業後、CMの製作会社に入社し、そこで知り合った旦那さんと27歳の時に結婚し、それを機に東京へ。香里団地の現在が気になっているとのこと。

映画のワークショップから映画監督へ

― 映画を作ろうと思ったきっかけは何ですか?
 
熊谷監督(以下:熊)「大学を卒業したあと、就職したのがCMの製作会社でした。そこで映像を作っていたんですけど、いわゆるブラックな会社で。3年くらい働いたあとに辞めたんですが、やっぱり自分の中にやり残したこともありました。

夫がその製作会社の同僚だったんですが、辞めずにずっと働いている夫がどんどん面白い仕事をやっているのを見てちょっと悔しくて。

そのもやもやを抱えたまま、そのうち自分のPCで映像を編集できる時代が2000年代初頭にきました。
じゃあ私にもできるかも!映像を作りたいなって思って、毎週2回夜に行われている映画のワークショップに参加することになって。

そのワークショップで友達も出来て、そこの実習作品で作ったのが『ぴあ』の賞に入っちゃって、ちょっと調子にのっちゃったって感じですね」
 

― 作品の数ってどれくらいあるんですか?
 
熊「短編もいろいろまぜたら……多分11〜12本は撮ってます。大体年間1~2本くらい。ありがたいことにそういう機会がまわってきまして。

100%自分発信だとなかなか作れないから、上映会に誘われたりとか、ちょっとしたお仕事に頼まれたりとかがあって、今までなんとか続いてきました」
 
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母が「めんどくさい」から「可愛い」へ
― 監督だけでなく脚本も手がけられているということですが、どのような思いで制作されたんですか?
 
熊「最初はやはり母がレビー小体型認知症という、幻視が見えることが特徴の認知症と診断されました。その幻視の内容が、本人にとってはマジメなんでしょうが、私からしたら面白いなぁっていうのがすごくあって。

目に見えないものが見えるって異常とされるじゃないですか?でも、よく考えたら映画なんて目に見えないものを作り出している虚業じゃないか、と。そういう考えもあって、私はそれが面白いなって」

― なるほど。

熊「あと母と私は仲が悪いわけではないですが、めんどくさいっていうか。その気持ちが強くて、距離を詰めないでいました。

でも母がすごく健康な人だったので、母もいずれは亡くなるんやって、母も老いるんやって。そして老いるっていうのはいろんなものをはぎおとしていって、赤ちゃんに近づいていくんやなぁってすごい実感したんですね。

逆に昔はいろんなものを身に着けていく私を母が見守ってくれてたんやなって思って、今度は立場が入れ替わって私がお母さんを見る立場になってるんやなってのが、ものすごく素直に受け入れられました。

そうすると母に対するめんどくさかったなって気持ちが、気恥ずかしいくらいにお母さん可愛いな、とか好きやな、っていう気持ちになって。

自分自身の変化にもびっくりしたし、そういうことに気づく機会だったんだなって思ったんで、そういうことを書きたいと思ったんです」

母が散歩中にゾウや猿を目撃

― それはいつごろのことですか?
 

熊「2015年の5月ですね。振り返ってみると2015年のはじめから母から電話がよくかかってきて、『お母さんの人生は何もなかった』とか、めんどくさいなぁって思う電話がありました。

それは飼っていた犬が1月ごろに亡くなったのでペットロスかなぁと思ってたんですが、犬が亡くなったこともあって、旅行にも行けることになったからうちの夫婦と両親で旅行というのを計画しました。

旅行の直前に、もし身体の調子が悪かったら問題なので大丈夫かな?と思って電話したら『身体は大丈夫やねんけどねぇ、散歩の途中で犬やら猿やら出てくるねん。お父さんに言ったら怒られるから言わへんけど、ゾウとかもいるのよ』とか言われました。」

― ぞ…ゾウ!

熊「たまたま私はレビー小体型認知症のことを聞いたことがあったから、もしかしたらそれちゃう?って思って。

でもやっぱ認知症って怖いじゃないですか?だから違う病気だってわかってほしい、ていうこともあって、とりあえずはよ病院行きって言って行かせたら、やっぱりレビー小体型の認知症だったみたいで。

映画にも出てくるんですけど、レビー小体型の方ってお薬の副作用が出やすいから、睡眠導入剤とかもってのほかなんです。でもよりによって旅行前日に寝られへんからって、母は睡眠導入剤を飲んで旅行に来ました。

結果として母がステンドグラスが好きやからわざわざ長崎の五島列島に連れて行ったのに、全くなにも覚えてないという事態に。」

― えぇ!それはなんとも!
 

熊「旅行の最後の日に両親は神戸に、私たちは東京に帰るので長崎空港で飛行機を待ってる時に母から『東京のまどかちゃんに何も聞いてないけどお世話になって』って言われました。
 
はぁ、私が東京のまどかちゃんやでって言ったんですが、夫にも『熊谷くんって結婚してはんの?』って。じゃあ私は誰やねんって(笑)」
― 完全に違う世界に?
 
熊「そうそう。熊谷くんと結婚して、私が東京のまどかちゃんやでって言ったら『あらそう?』って言いながら手をふって帰っていきました。

これどないしよ?って旦那と長崎空港で皿うどん食べながら言ってたのが、2015年の5月です。

それからいろいろ検査とかして正式に判断されたのが同年8月。

どうしよって思う気持ちもあったんですけど、でもそんなに一気に、母が母でなくなるというわけでもないし、早めに見つかったということもあって、お薬で進行も緩和されてはいるから、『なんだ認知症ってそんな怖がることでもないな』って思ったんです。

どうしても認知症って聞くと絶望的に思うけど、そうじゃないんだなって。

そしてさっき言ったような、母は老いて、子供になっていくんやな、えらい可愛いな、っていう気持ちになったちょうどそのタイミングでシナリオの募集があったから、今これ書こうって思って書いたんです」


― だから映画を見てても、お母さんが可愛いんですね。

 
熊「でもうちの母は関西の人やから、ヒョウ柄のスパッツ履いてるような感じです。田島さん(劇中の母親役の方)のように上品じゃないです(笑)」

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― 映画の最初の方のシーンで魔法瓶があの犬に変わったりするのも、お母さんの?
 
熊「その長崎旅行にいった時に、旅館のテーブルの上に魔法瓶とか置いてあったんです。

そこで母が『そこの人、座布団しいてはらへんの違う?しいてあげて?』って言って旦那が『いや僕しいてます』って言ったら、母が『いやそこの人!』って。いやそれポットさんやでっていったら『あらぁ…』って。」

― 何に見えてたんですか?
 
熊「人にみえてはったみたい」

― 言ったら気づくんですか?
 

熊「いや、気づく時と……どうなんやろね、いろいろあるみたいです。

こないだもパニクりながら電話してきて、『リビングのソファーで太った男の人が寝てて、帰らはらへんから』って。

それで、私がひとこと言ってあげるからちょっとその人と電話かわってって言ったら、電話のコードが短くて足りひんって。そこはリアルなんやって思いましたね(笑)」

つみきみほさんなどキャスティングについて

― 撮影は7日間で撮影されたと伺いました。
 
熊「そうなんです。めちゃめちゃハード。でもやっぱ主演のつみきさんがすごい集中力がある人というか。普通カメラのセッティングとか出来てから俳優さんをお招きするんですけど、先にいって練習してはったり」
― キャスティングについてはイメージどおりに?
 
熊「ベストなキャスティングやったなって思います。

ですが、元々脚本を書く時にある程度人を想定しないと私は書けないんですが、私が想定して書いたのは身近にいる小劇団の女優さんとかだったりします。

そして実際に映画にしようとなると、どなたにしようってなるので、プロデューサーとの相談になってきますね。

つみきみほさんは桜の園って映画があったじゃないですか。あれを見た時私はまだ大学生くらいで、年が近かったからキラキラした女子高生になんかすごい嫉妬心をかき立てられて(笑)

なんかこんなんちゃうねん!みたいな。いい映画かもしれんけどなんかちょっと…って感じやったんですが、この歳になって久しぶりに見ると、今度はあぁものすごい綺麗な映画!って思ったんです。

本当にそれをたまたま直前に見たのもあって。あの映画って演劇部の話じゃないですか?

劇中の主人公もキャラは違うけれどずっと演劇やってる人なので、それでつみきさんいいかも、と」

― つみきさんとしてもすぐOKが出ましたか?
 
熊「映画のセリフで『才能っていうのはなんと言われてもしがみつく勇気だ』みたいなところが、つみきさんも思う通りに仕事がいかない時があって、共感してくださったそうで。」
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― 今回の映画でつみきさんと田島さん(母親役の方)がすごく大事だったと思うんですけど、田島さんに関してはどうですか?
 

熊「初稿では自分の母をモデルにしてたから、80代をイメージしてました。さすがに80代の方はなかなか大変ってのもあるし、もう少し若い方がいいかなっていうのがあって。

田島さんは仲間由紀恵さんが主演のNHKのドラマで美女と男子っていうドラマにお母さん役で出てはったんです。

なんかすごいキリッとしたイメージがあったんですが、たぶん田島さんはコメディとか、可愛い感じとか多分いいやろうなっていうのをずっと思ってて」

長編映画を撮影するのは実は初めて

― 長編を撮られるのははじめてなんですか?
 
熊「長編ははじめてです」

― 短編と長編ってどういう違いがありましたか?

 
熊「短編は勢いで撮れちゃうところもあるし、スカッと感があれば多少強引であっても面白くできるし。短編も好きなんですよね、小説とかも。

でもやっぱり映画って長編撮ってなんぼなところがありますし、撮りたいというか、撮らなきゃって思ってたんですけど、これまでかけなかったんですね。

なので今回この題材がタイミングよく自分にふってきて、ちょうどシナリオの公募の時期にタイミングよくあったから、すごく勢いこんで書いたというよりは、書けちゃったという感じ」

― 今回はお母さんがモデルということですが、これまでの作品もそんな感じなんですか?
熊「割りと一人称の作品が多いと思います。短編は自分の中に入っていく感じ。でも身近にいる誰かの何かを見てたりもします」

― 今回長編を撮るにあたって、一番苦労したというところはありますか?
 
熊「やっぱり、1週間という時間がかなり短かったのと、私も長編の監督なんだから監督らしくいなきゃ、みたいな気負いもあって。テンパっちゃうこともあったんですが、スタッフがベテランの人ばかりで助かりました。

私が全部やろうとしなくて、こういうのが撮りたいです!って手放してしまったほうがいいものが撮れるんじゃないかなって、最終日に気がついたんですよね。

ですので日々出来てないなって思うことが多かったんだけど、苦労したのは自分自身の有り様に苦労しました。

ちゃんと言わなきゃと思っていたんですが、ここは私はこういうシーンしたいと思っているんですが、どうですかね?って言えばよかったのかなって。コミュニケーションが……苦手だな」

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― 映画中の家のつくりの昭和感がよかったです。
 

熊「あの家しか借りれなかったというのもあるんですが、美術さんがすごいつくりこんでくれたんです(笑)

『お母さんの城』感、洗練はされていないけどお母さんが手をかけて愛してきた家っていうのを美術さんに言いましたね。

監督って役割を決める係じゃないですか。ありとあらゆることをその場で即断しないといけないという、怖い係。

ただ、こうしなければいけないっていうのより、その場で早く決めないとっていうところに一生懸命になっちゃう。だから『いやわからん』って言ったほうがいいのかもしれなくて」

― そこがちょっと苦労した…と?
 
熊「苦労したというより、課題が見つかったという感じです。次にチャンスがあったらもうちょっとそこはうまくできるかなぁって思います。
 
撮影のカメラマンが少し年上の寝屋川出身の女性の方で、見てきた風景がわりと近い。そして、面白がるものが近い。それも多分映画においてすごくいい結果を生んでいる気がします」

― ちなみに今、実家は神戸とお伺いしました。
 
熊「そうですね。でも一番長く住んでいたのは枚方です」
 
よく行っていたのは香里園のダイエー

― いつか枚方で映画を撮ったりとかはありませんか?
 
熊「機会があれば。どこで撮影することにしましょうか(笑)団地とか好きなんで」
― 星型の団地もまだ残っています。
 
熊「どう変わってるかわからんけど、香里団地の団地の風景とかは撮ってみたいです。池もあったよね」
 
― 以楽公園ですね。いつごろから枚方をはなれたんですか?
 
熊「学生時代も京都に下宿したりもしてましたが、結婚を機に東京に行くまで住んでました。27歳くらいまで。だから、9、10歳から27歳くらいまで枚方に」
― 枚方でよく行っていたところはありますか?
熊「香里園によく行きましたね。あそこ枚方じゃない?(笑)ダイエーってなくなったんやね?ダイエーでよく服を買ってました。
 
それ以外やと自転車でいろいろ行ってた気がします」

― 似た質問なんですが、枚方に思い出の場所ってあったりしますか?

 
熊「もうないかな?香里丘高校の前にABCって喫茶店があったんですが、パンが美味しかった。

あとはやっぱりひらかたパークは結構行きましたよね。はじめてのスケートはひらかたパークでしたし。

とりあえず菊人形が怖かったです(笑)あとはピーコックとかは懐かしいな。公設市場(スーパー)とか」

― 枚方について率直に思うことがあればお願いします。
 
熊「最近は行ってないなぁ」
― では住んでいた時はどうでしたか?
 
熊「今から改めてふりかえると、いろんな地域があるところやったなって思います。茄子作の方に行ったら農家もあったし、香里団地もあったし、意外といろんな多様性というほどでもないけど、いろんなエリアがあったんやなっていうのは思いますね」
― それは東京に住んでいて思う感じですか?東京の方が多様性がある気もしますが……
 
熊「東京より枚方はそのエリアがもっと広い気がする。それとあと私が住んでいたのは子どもが多い時代でした。団地を中心に人がいっぱいいて。いい意味で、いい時代に枚方にいたのかもしれないです」

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創作のきっかけは香里丘高校?

― 高校は12クラスあったそうですね。
 
熊「高校時代は自転車でどこでも行っていました。私達の時代って就職して当たり前の時代だったし、演劇をやるっていえるほど覚悟をもっていなかったな」
― 演劇とか創作に興味をもたれたのはいつごろですか?
 
熊「やっぱり香里丘高校に通っていた頃ですね。あのゆるさと、ヤンキーっぽい人とかいろんな人がいた多様性とか。

香里丘高校で出会ったことは大きい気がします。香里丘高校にはバンドとかしてる人も多かったし、大阪芸大に行く人も多かったし、きっとそういうことが好きな人が多かったんだと思います」

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(香里丘高校)

認知症の啓蒙映画ではない

― 社会的にも認知症に対する関心が高いと思うんですが、こういうテーマで今後は撮ってみたいとかありますか?
 
熊「今回の映画では認知症がホンマに一番目立つトピックスではありますが、認知症のことを書きたかったというより、それをきっかけに人生ってつながってるって自分で思ったことが書きたかったんです。

短編の時は一人称で自分の中に入っていくことを書いてたんですが、今回の経験で繋がる、みたいなことに興味がやっと外に向いてきたというか。

今書きたいと思っているテーマは思わぬところで人は繋がってるみたいなこと。それをお話にできないかと思っています。できればサスペンス的な」
 

― これまでの作品にも、ちょっとサスペンス的な要素もありますよね?
熊「そうですね。サスペンスというかブラックでシュールな感じのものが好きなんだと思います。今回の映画はすごいマイルドですが」
 
― どんな人たちに見てもらえたら嬉しいですか?
 
熊「もう若くなくて、親の老いを感じる人に一番近い話ではあると思うから、共感してもらえるのはその世代だと思うけど、認知症の啓蒙映画ではないので、逆にそれを期待して見たら違うと思うかもしれない。

自分ももう若くなくなってきて、つながりとかを意識しだした人に見てもらって同じ気持ちを感じてもらえると嬉しいかなぁと」
 

― 人とのつながりって改めて実感できることってありますか?
 
熊「私は子どもがいないんですが、もし子どもがいたら当たり前に自分がどっかに繋がっていってるって感覚がもてるのかもしれないです。

でもあんまりそれがないままに生きてきて、お母さんと私がつながってるんやって思った時に、じゃあ子どもがいない私とかはどこにつながってるんだって思う時に、私は映画とかが、どこかの誰かに届いてるって思いたい、というか信じたい」

― では映画はいつからどこで上映でしょうか?

熊「関西は3月25日からテアトル梅田で上映開始です」

― 最後に、読者さんへメッセージをいただけたらと思います

熊「見に来て下さい(笑)梅田まで!」


以上になります!
ちなみにインタビュアーは、まるで僕すどんのような書き方ですが、ほぼリビング京阪さんです(笑)

そしてそんな熊谷まどかさんが監督をつとめる映画「話す犬を、放す」は本日3月25日よりテアトル梅田(→公式サイト)にて上映開始。
興味が湧いたという方は見に行ってみてはいかがでしょうか。

ネタバレなんで詳細の部分は書かなかったんですが、前述のとおり認知症の啓蒙映画でもなく、色々と考えさせられるような映画でしたよ―!

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