「俺の墓場はダーウィンだ」タンスから出てきた戦時中の新聞に枚方出身の中尉が戦闘機で自爆する壮絶な最期の記事が

枚方市三矢町にある「塩熊商店」さんから古い新聞記事の画像を投稿していただきました。

なんでもたまたま倉庫から出てきた新聞に枚方の人のことが載っていたそうです。

↓こちら
古い新聞

↓画像から読むのはしんどいかもしれないので書き起こします(読みやすいよう一部現代風表記にしています)
“俺の墓場はダーウィンだ”
「桃太郎荒鷲」松原機の壮烈な最期

去月二十日の陸鷲初の濠洲大爆撃に散華した既報の「桃太郎荒鷲」松原謙二郎中尉-大阪府北河内郡枚方町中振-の壮烈な自爆の模様が最近◯◯基地に帰った当時の指揮官八木部隊長、宮沢敏男大尉、向井俊美曹長らからはじめてもたらされた-

『松原中尉は緻密な注意力と果敢な闘志に溢れた典型的な飛行将校だった、相撲は天王寺中学時代から得意だったそうで、五尺八寸、十九貫の巨躯を働かせ基地では部下とよく相撲に興じていたものだ、濠洲へ出発前夜の團欒にも童顔の抜けきらぬ中尉は朗らかな笑を湛へ“飛行機乗りには嫁やるな”と唄っていた、同中尉が結婚談を中止するよう実家へ書き送ったことを仄聞していたわれわれはなにか胸せまるものがあった、編隊がダーウイン上空にさしかかったとき、右上空からスピットファイヤー二機が火を吐いて襲いかかった

無念 にも松原機の射手が胸部をうたれ機からボツと白い煙があがった、だが松原機は編隊を崩さず執拗に虚を狙う敵機に割りこまれないように、中尉はなおも自若として操縦桿をにぎりしめ、前方を睨みつけているのが見えた、やがて敵軍事施設を翼下に認めた松原機はいまはこれまでと両翼を振りつつ僚機に訣れを告げ急に下降

機體 (きたい)を掩(おお)う煙はものすごくもはや操縦の力を燃やし尽くしたかと思われたが、この時さらにもう一度訣別の翼を強くうち振り機首を垂直に自爆の姿勢をとり真逆様に敵軍事施設めがけて突っ込んでいったのだ、「ボート・ダーウインは俺の墓地だ」と松原中尉は出発を前にして冗談のようにいったがその言葉は的中したのだ』
 
塩熊さんからのコメント
以前も古い扇風機や写真で投稿した塩熊商店です。
今回倉庫を整理していましたら古い棚から昭和18年7月29日の朝日新聞が出てきました。
その中に「俺の墓場はダーウィンだ」というタイトルで大阪府北河内郡枚方中振の松原謙二郎中尉の戦闘機での最後の記事がありました。
別に知り合いで新聞を残してたわけではないようですが、 戦時中の新聞に枚方の人の記事が乗っててびっくりしました。

ダーウインとはオーストラリアの都市のことです。
ダーウイン Wikipedia

太平洋戦争における日本軍のオーストラリア爆撃は1942年・1943年に何度も行われたみたいで、Wikipediaに具体的な日付なども載ってました。
日本のオーストラリア空襲

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ダーウイン空襲(Wikipediaより)

上の新聞の日付が昭和18年(1943年)7月29日で、記事に『去月二十日の~』とあるので、この松原中尉が自爆した爆撃は1943年6月20日ということになります。そしてWikipediaの空襲の日程にも

6月20日 10:43 ダーウィン、オーストラリア空軍基地とWinnellie(ノーザンテリトリー)。

とあるので、記事にある『敵軍事施設』などの記述と合いますね。

新聞記事で松原中尉のことを『桃太郎荒鷲』と呼んでるのは、当時国民の戦意高揚のために真珠湾攻撃をモデルに製作されたアニメーション映画「桃太郎の海鷲」をもじったもののようです。

松原中尉の年齢は書かれていませんが、結婚談を断ったというエピソードがあるので比較的若い人なんでしょうね。「飛行機乗りには嫁やるな」と笑っていたとありますが、なんだか悲しい話です。

いまでも墓地に行くと戦争で亡くなった方のお墓をよく見かけるので、中振のどこかに松原中尉のお墓もあるかもしれませんね。

関連リンク
戦争時、枚方出身の兵士が戦闘機で枚方小学校上空を飛び、帰ってこなかった話 枚方つーしん

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ライター:カズマ カズマ

カテゴリ : 話題 

この記事へのコメント

1. ななし   2011年11月20日 17:05
5 100式重爆撃機「呑龍」を装備する飛行第61戦隊は昭和18年6月20日に18機でダーウィンを目標に出撃、2機が失われいます。そのうちの一機に松原中尉が乗っておられたのですね。