ひらかたメモリーズ file.011 [2007年2月@中宮]

枚方の人々の思い出を元にした、ほぼノンフィクションの読み切りエピソード集「ひらかたメモリーズ」、第11回をお届けします。

ひらかたメモリーズタイトル11


ひらかたメモリーズ file.011

2007年2月@中宮 午前8時
 フロントガラスの曇りを、車が信号で停まるたびにティッシュで拭き取る。

 カーエアコンが故障しているせいで、家族3人を乗せた車の熱気はすぐさま窓ガラスを白く染めた。死んだ親父を乗せた車を見失わないように俺はその曇りを断続的に拭き取り続けた。

 2年前に見つかった末期がんに対して、俺も親父も同じ感想だった。

 どうなるんやろうなぁ〜

 人生で末期がんなんて経験したことがない俺と親父はトボけたコメントを発していた。

 抗癌剤の治療を始めると、すぐさま拒否反応が出てげーげー吐いた親父は救急車で運ばれたけれど、点滴を打って帰ってきた。

 そのとき俺は、抗癌剤が効いて結局は元気になるもんだろうと思っていた。

 治療を初めて二度目の正月を過ごした十日えびすの日。俺が仕事から帰ると親父に「すまんが車で病院連れて行ってくれ」と頼まれた。入退院を何度か繰り返していた親父が医者から「次に入院したら最後」と言われているのは知っていた。

 弱々しい声とは裏腹の、覚悟のある目だった。

 足を引きずりながら歩く父に肩を貸し、市民病院へ連れて行くと即入院となった。

 医者から言われていた言葉もあり、俺は毎日顔を出すようにしていた。

 見舞いに行くといつも笑い声が聞こえ、父の病床の周りはいつも笑顔が耐えなかった。看護師さんにも果敢に笑いを取りに行く父に俺は「病人なんやから黙ってじっとしとけ!」と説教したほどだった。

 次に入院したら最期と言われていたけれど、やはり俺は抗癌剤が効いて帰ってくるような気が、この時もしていた。

 亡くなる5日前から個室に入った。その時にはずいぶん弱っていたのでまともな会話は出来なかったが、かすれた声で「握手しよう」と親父はつぶやいた。

「なんや死ぬ気か? まだ生きなアカンで」

 親父の痩せきった手を握りながら俺はそう答えた。親父は力なく頷いた。
 
 これはもう長くないかもしれないと思った5日後、親父はポックリ逝った。こっちを気遣うかのように祝日に死んだ親父は最期まで看護師さんたちを笑わせていたらしい。

 
 葬儀場に向かう車の中で、俺は事前に準備しておいた段取りを頭のなかで反芻していた。

 そつなくこなさなければならない。
 その思いだけが俺を動かしていた。

 まさに『立つ鳥跡を濁さず』を実践して逝った親父のすごさだけが反響音のように心にこだましていた。

 俺も計算して死なんとアカンのかァ? 

(おわり)


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