
元ガンバ大阪の内田達也さんが2025年に現役引退。
2026年から枚方市を拠点とするJFL(日本フットボールリーグ)のFCティアモ枚方のアシスタントコーチに就任しました。
ジュニアユース(中学生年代)時代にガンバ大阪に入団し、ユース(高校生年代)を経てトップチームに昇格、その後、東京ヴェルディ1969、ザスパクサツ群馬を経験後、FCティアモ枚方へ2024年加入されました。
1992年生まれで、サッカーでは「プラチナ世代」と呼ばれた年代。
vol.3は内田さんに、サッカーとの出会いから、指導者としての未来についてをお聞きしてきました。
2026.2.2@生駒市体育協会 高山S.C.
ガンバ大阪下部組織からトップ昇格まで

———今日は、よろしくお願いします。
昨年の最終戦が引退試合になった訳ですが、試合後胴上げされていましたよね。
してくれましたね。嬉しかったです。
———最後の試合、キャプテンマークも、つけていましたね。
あれは、(ヘッドコーチの)ベンが配慮してくれて、本来は(阿部)ハヤトですけど、ハヤトに言ってくれて。最後やしっていう形で、そういう舞台を作ってくれたっていう感じですかね。
ありがたいですね。

———ずっと、キャプテンをやっていたイメージがあります。
したり、しなかったりって感じですね。
———早速ですが、サッカーを始めたキッカケを教えてください。
小学校2年生の時に、周りのみんながサッカーやるから、ついて行ったんです。
自分から積極的に始めたわけではなく。当時の同級生に感謝ですね。
中学生に上がる時に、チームの中で上手だった子が2,3人でガンバ大阪やセレッソ大阪、ヴィッセル神戸という関西圏のセレクションを受けるというので、一緒に行くって感じでした。
セレッソ大阪は、1次ですぐにダメだったんですが、ガンバ大阪は、たまたま受かって。
一緒に受けに行った中では、1人だけ合格して、ガンバ大阪のジュニアユースに入団することになりました。
———そこから、そのままユースに上がり、トップチームですね。
確か、内田さんの年代で、トップに上がれたのはお一人だけでしたね。
そうですね。僕の年は1人ですね。
———内田さんを調べていたら、宇佐美貴史選手の名前がいっぱい出てくるんですよ。
仲良しなんですよね。
そうですね。仲良し…難しいですね。
なんかもう一緒にいすぎて、ちょっと、もうそういうのも。
なんか、なんやろうな。ずっとペアだったんです。
貴史がトップに上がったのは、僕より1年早かったんですけど。
———宇佐美選手は、学年的には1つ下でしたよね。なのに、トップに上がったのが1年早かった⁈
そうです。
そこまでの流れで言うと、僕が中3の試合に行った時には、中1の貴史も行ってたし、僕が中3の時は中2の貴史は一緒にやってたし、僕が高校1年生になったタイミングで貴史も中3からユースに昇格してたしっていうぐらい、ずっと一緒にプレーしていて。最終トップのところは、貴史の方が早かったです。
僕が早生まれというのもあったんで、代表活動は、逆に僕が一つ下のカテゴリーに行ったんで。そこでずっと貴史と一緒にやってたし。
———宇佐美選手は、ガンバ大阪のトップチームにクラブ史上初の高校2年次に飛び級でトップ昇格となっているんですね。
今でも、連絡されるんですか。
はい、しますよ。
引退した時も、ご飯行こうかって一緒に行って。
周りの何人かを、誘ってくれました。

———先に引退したことを、なにか言われませんでした?
いや、ないですよ。
むしろ僕なんか全然大した選手じゃなかったんで、自分の中でも16年現役でやれたっていうのは、長くよくできたなっていう感じなんで。
貴史より早く引退なんかも、多分当たり前、選手の能力からしたら才能からしたら、貴史の方が長くやるっていうのは、もう誰から見てもそうだと思うので。
———ガンバ大阪にジュニアユース時代から長く在籍していた中で、思い出に残ってる試合ってありますか。
あります、あります。
特に中学の時なんか、やっぱり初めて日本一になったので。
昔の国立で。なんかの前座試合なんかな。
———高円宮は、中学生年代の1番大きな大会ですから、決勝戦は、それだけ単独でやると思いますよ。
JFA参照:2006年12月26日開催の高円宮杯第18回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会の決勝
いや、もうすごかったですね。やっぱ雰囲気含めてめちゃくちゃ覚えています。
それこそ、高校の時もそうですし、クラブユースや Jユースでの優勝や、トップ入ってからも、デビューした試合もすごく覚えてます。
Jリーグデビューと長谷川健太監督との出会い

———Jリーグでのデビューは、2011年5月万博でのアルビレックス新潟戦ですね。この時は、DFですね。当時19才。
緊張するでしょうね。
観客も全然違うし、大先輩方と一緒にやるし、私だったら、もう手がふるえるというか、吐きそうになるぐらい緊張すると思います。
今、そこに入る方が、緊張するかもしれないですね。
当時でいうと、なんか僕、若くて、そこまで考えが至ってないのか。
むしろ、いっぱいいっぱいやったのか、わかんないですけど。
———2013年、ガンバ大阪がJ2で優勝した時、1年間通して出場していたんですね。
監督として(長谷川)健太さんが来て、すごく健太さんに使ってもらってたので。
———長谷川さんですよね。
はい、怖かったですよ。
基本的に、普段はフレンドリーですが。
若手を見てくれている監督だったんで、僕だけじゃなくて、若手を何人も使っていたんです。
若い選手に対しても、リスペクトを持ってくれていましたし、積極的に使ってくれる監督だったんで、すごく感謝しています。

———その時代に、二川さんと一緒だったんですね。
はい、フタ(二川)さんは、(僕が)トップ上がってから、フタさんが東京ヴェルディにレンタル移籍するまで6年くらい、一緒でした。
———FCティアモ枚方に加入された時に、二川さんが「うっちー来たからな。すごい頼りにしてんねん」とおっしゃっていて。
ヴェルディに移籍するのも、フタさんキッカケで決まりましたし。
前年に、フタさんが移籍して、そういうガンバとヴェルディのパイプというか、繋がりがあった中で行かせてもらったんです。
フタさんに、ついていってるんですよ。
プレースタイルは、全然ちゃうんですけど、背中追っかけてるんですよ、僕。
———もしかして、二川さんが憧れの選手ですか。
憧れっていうか、もうトップ上がってから、すごく僕的には、なんかこう親しみのある方ですね。
———ポジション的には、ちょっと違うんですよね。
フタさんの方が、全然前なので。
どちらかというと、フタさんにボールを渡す方の選手だったんです。
———東京ヴェルディでは、すごくご活躍されました。
僕が行った年、監督が若手をすごく使うロティーナ監督だったんで。
フタさんは、なかなか出番がもらえなかったので、途中で移籍してしまったんですけど。
膝の怪我と向き合い続けた生活

———その後、ザスパクサツ群馬ですね。この時に、右膝を怪我してはるんですね。
ガンバ大阪時代の2014年に左膝と、両膝怪我されたんですね。
そうなんですよ。ガンバの時と群馬の時に。ボロボロっす。
———膝のテーピングを見て、大変そうだなと。
ティアモに来てからも、特に人工芝だったり、午後の仕事のところで、なかなかケアする時間だったり、補強をする時間がなかったんで、割とこっち来てから常に膝と付き合ってましたね。
———FCティアモ枚方1年目2024年の後半、試合に出れなかったのは、膝の調子が悪かったのですか。
キッカケはそうかもしれないですけど、まあ実力的にも、監督のところで普通に決めてたところもあると思うんで、怪我だけが理由ではないです。
離脱したところは、膝のところだったんで、そうですね。
———今は、普通に生活する分には大丈夫なんですか。
座敷とかに座るとその日、次の日もずっと膝が痛いです。
オペした辺りのところが、固まっちゃうんですかね。
同じ姿勢でアグラをかいてると、そこの痛みが、次の日とか、ちょっと馴染むまで、2,3日かかります。

———FCティアモ枚方に来られた時、大黒さんと二川さんのコンビで、指揮されてました。
大黒さん、厳しかったですよ。
特に技術に厳しいということですね。
細かい技術判断のところで、すごく厳しさを持っていましたね。
パッションというか、エネルギーある人やったんで。
選手は、そこに引き上げられてたなというのは、確かにありますね。
一番先頭にたってボール回しとかもやるし、エネルギーすごかったですね。
JFLって、午前中サッカー、午後は仕事というところで、なかなかサッカーに100パーセントかけれないというか、そんなつもりはなくても、サッカーやってても、午後の仕事のことも考えていたり。
いろんなことが、考えられちゃうような状況の中で、「お前らは、サッカーでやっていきたいんやろ」と。
サッカーに、ちゃんと戻してくれるところは、常に言ってくれてたんで、すごくサッカーに対する意識はみんな上がったんじゃないですかね。
JFLで知った”働きながらサッカー”の価値

———内田さん的に、JFLですごく苦労したなとか、良かったなっていう点はありますか。
JFLは「午後に仕事がある」ことに関して、”苦労した”のと”やって良かったな”とどちらもです。
良かったなっていうのは、サッカーが終わってセカンドキャリアに入っていく時に、ティアモでいったら、いろんな仕事があると思うんですけど、午後普通の一般企業で働いたり、病院で働いていたり、サッカーのスクールやっていたり、コーチングスタッフをやっていたり。
何をやるにしても、やっぱり自分がサッカーを辞めた時に、 1つ人生経験というか、社会の経験を積めているというのは、良かったと思います。
特に若い選手とかは。
Jリーグの選手で、高卒2,3年、大卒1,2年とかで、クビになってしまう可能性がある中で、すぐに社会に放り出されるということを考えたら、ここで午後の時間、しんどいですけど、仕事をやっているというのはすごくいい経験。
逆にその選手たちが、 Jリーグに行った時に、午後の仕事がないところで、今まで働いてた時間が空いているので、もっと自分のやりたいこと、体のことだったり、トレーニングだったり、こんだけ時間あるんやったら、色々できるやんと思って、サッカーに対してやっていけると思うんですけど。
それって多分、 Jリーガーだけでやってると、午後の時間って結構だらーっと過ごしちゃったり、何もしない時間、練習で疲れたし、明日も練習やから家で休もうとかとなっちゃいがちなんで。
強制的に午前練習して、午後働いてと、そういう体の流れは多分できるんで。
身体的には、しんどいかもしれないけど、考え方も含めて、次 Jリーグに行った時に、仕事ないし、こんなに身体楽やんっていう中で、もっと自分を高めるところに時間使えたりするんじゃないかな。
そういうところも含めて、午後に働いているというのは、いろんな側面からいいんちゃうかなと思います。
しんどいですけど。
サッカーを諦めずに、積極的にJFLで続けたらいいのになと思いますね。
———Jリーグだけで、引退される方も当然いらっしゃいますが、その後、JFLや地域リーグで活躍される方もたくさんいます。
そうですね。地域リーグ含めて、大学卒業した選手たち、高校卒業する選手たちが、もっとサッカーしながら働くっていう選択を選んでもいいんじゃないかな。
きっぱりサッカー辞めて働くとかも、もちろん、その決断に対して個人が決めるところなんで、いいと思うんですけど。
もっと選んでいいんちゃうかなと、僕は感じますけどね。

———FCティアモ枚方で、初めて出た時の試合とか覚えていますか。
覚えていますよ。一番なんか硬い試合やったんで、逆に何もしてないんで。
緊張ではないと思いますけど、ゲームが硬かったんで。
周りも相手チームも含めてね、やるサッカーですかね。
相手がドカーンって蹴ってきて、走ってプレスかけてきて。
———それは、「開幕戦でみんな硬くなっていた」というわけではなくて?
そこもあるかもしれないですけど、どっちかというと、サッカー的に噛み合わせのところで、最初の試合やなって感じです。
自分たちが、やりたいことがあったんですけど、なかなかそこが出せない。
そこは、硬さとかあったのかもしれないですけど。
もう、あっという間に終わったなという。
プレーが切れることも多かったし、サイドの奥に蹴ってくるようなチームやったんで、えらいスローイン多いなっていう感じですね。
———では、最後の試合は覚えてはりますよね。
もちろん、この間のね。
そこはやっぱり、一番直近やし、自分が引退するっていうところもあったんで。
———「引退する」と決めてから、最後の試合に出るってどんな気持ちですか。
僕は、ちょっと周りのみんなと多分違うのは、割ともう1年前から、それこそFCティアモ枚方に来た時からですけど、そういうのを考えながらプレーする期間っていうのは、もらえていたので。
常にセカンドキャリアとか、自分の引き際というか、サッカー辞めるタイミングっていうのを考えながら、やってはいたんです。
急に1ヶ月後に、引退しようって決めたとかっていうことではないんで、徐々にそういう気持ちも作っていってたし、正式にチームに引退すると伝えたのは、そんなに早い段階ではないですけど。
———秋口に入ってぐらいからですか。
そうですね。その辺には。
自分の中では、1年のスタートから、今年で終わってもいいかなという。
「後悔しないためのプレー」は、意識していました。
引退を決めた理由と指導者への転身

———それで、最後やっぱり今年でやめようと思ったのは、なぜですか。
一番は、「指導者になりたい」というのがあったんです。
———そうなんですね、指導者ライセンスは、どこまで取れていますか。
B級のライセンスは、取っています。
選手をやりながら取っていたんです。
元から指導者を目指していたので、午後の時間で指導できるから、FCティアモ枚方に来たところもあります。
———JFA Proライセンス(旧S級)も視野に入れていますか?
そうですね。そこを取りたいですね。
JFA Proライセンスにチャレンジしたい気持ちがあります。
———なるほど、楽しみにしてますね。 Jリーグの監督もできますしね。
監督をやるのだったら、どの年代をやりたいですか。
上のカテゴリーもやりたいですし、今、中学生を見ているのですけど、中学とかでも監督したいし。
そこは、あんまり定まってないですね。どっちも楽しいんで。
———現在は、実際中学年代の指導をされてるのですね。中学年代は、私の中で反抗期で難しい気がするのですが。
もちろん、反抗してくる子もいます。
でも、言ったことに対して素直に受け止めて、プレーが変わったり、なにか気づいて、考え方が変わったりしてるのを見ると、こういうこと伝えてよかったんやなと。
自分の発言が、考えるきっかけになっていると感じることはあるので、そういうので、子供たちの変化を見られるのは、楽しいです。
自分が変えたとまでは思わないですけど、なんか感じてくれてるのかなというのはあります。
———また、プロだと全然、違うような感じがするんですけど、それも挑戦してみたいですか。
そうですね。
教えるというより、戦術だったり、結果のところだと思うので、そういうところに、ちょっと振り切った指導というのもしてみたい、というのはあります。
自分が思うように、やってみて、上手くいかなかったら、僕が切られるだけですから。
子供たちのところで言うと「成長」というところが一番上にあるんで、強制することはないですが、トップチームに自分がやってほしいサッカーを表現してもらうというのも、楽しそうやなと思います。
指導者としてのスタイルと柔軟性

———自分のやりたいサッカーはありますか。
「こういう時、こういうプレーをしてほしい」というのはあります。
こうやったら、上手くいきそうやのにとか。
———東京ヴェルディ時代のロティーナ監督が、戦術が細かいというのを読みました。
そうそう細かいですよ。
もう相手を分析して、1週間かけて、ボールの動かし方から、相手がこうなるから、ここを使いましょうみたいなのも、落とし込むんですよ。
———すみません、それって普通だと思っていたんですけど、そこまで言わない監督もいらっしゃるんですか。
います、います。去年のベンヘッドコーチなんかで言うと、割と個人のアイディアに任したりもするので。
大枠だけ決める人もいるし、ロティーナみたいに、ここに立って、ここにボール動かしてというところまで、決める監督もいるし、そこはもう監督それぞれです。
やっぱり選手からしたら、そういうのが好きな人もいるし、縛られると自分はここで受けたいのに、こういうプレーをしたいのに、とストレスを感じる人もいます。

———内田さんは、選手としては、どちらのタイプだったのですか ?
柔軟に対応するタイプだと自分では思っています。
どんな監督でも、求められていることはある程度やれると思っているところはあります。
僕は、1年通して全然試合に出ないという年が、あんまりなかったんです。
ガンバ大阪の時は、レベルの差的に全然出れない時はあったんですけど、それでもある程度、監督が変わっても使ってもらえているので、そういうところは、僕はプレーヤーとしてはどういう監督でも、苦にしないですね。
———すごい器用なんですね。
あんまだから、特徴ないんですよ。
———いやいや、柔軟に対応できるというのも特徴ですよ。
自分の中で、ポジティブに捉えるとそうですね。
ポジション的にも、割といろんなところができると思っていました。
———今年のFCティアモ枚方のダニエル監督は、どうですか。
アルゼンチン出身で、タイで指導されていたとか。
攻撃に関しては割と自由を与えてくれて、守備に関しては、細かいところも伝えるような監督になるんですかね。
南米っぽい陽気な感じで、ドリンクを用意してくれたりします。
———楽しみですね。攻撃に対して、自由度が高いのですね。
はい、そこの良い部分というか、大黒さんの時から積み上げてきたところは、そのまま続けてほしいっていうのを監督も言っていて。
その良い部分を残しながら、守備のところで気になっているところに、手をつけていきたいという風には言っていました。
まあ、まだ体作りのところがベースなんで、そんなに細かいところまでは指示してないですけど、これから、どれぐらいダニエル監督が、言っていくのかというのは、僕も楽しみですね。
FCティアモ枚方での新たな挑戦

———今、ヘッドコーチに山本拓弥さんがいて、内田さんのアシスタントコーチっていうのは、どのような役割になるのでしょうか。
人が足りなかったら、入ってサポートします。
アップのところは、ヤマタク(山本拓弥)さんが、やってと言ってくれてるので、そこは振ってもらってるんで、いろんなアップだったり、ボール触るところぐらいまでは自分がやっています。
———自分で、考えるのですか。
そうですね。基本的には。
でも、アップなので、いろんなことはやらないですけど。
あとは、決まった練習のサポートをする。
本当にアシスタント、自分がこう具体的に戦術どうこうっていうわけじゃないんである程度共有しながら、ポイントポイントでコミュニケーションを取って。
なかなか選手と監督との1対1という時間は、みんな取れないと思うんです。
なんかわからないことがあったら、僕がちょっと伝えたり、個人個人にちょっとアプローチしたりというところがメインの仕事になるかな。
———結構、兄貴分的な立ち位置になるのかなと。
そうですね。雰囲気的にはそうですね。
僕は、そういうタイプじゃないんで、兄貴分って感じじゃないですけど。
距離は近いと思うので、選手との間に入ってやります。
支えてくれた人への感謝、そしてこれから

———最後に、内田さんのファンの方にメッセージをお願いしていいですか ?
16年間、いつも応援していただいて、ありがとうございました。
やっぱり、プロ、JFLも含めて、サポーターの方だったり、そういう方々の支えあっての選手だと思うんで、常に皆さんに応援していただいて、試合の会場に足を運んでいただいて。
そういう中で、サッカーができたっていうのは、すごくやっぱり、サッカー選手をやっていてよかったなと思えるところです。
自分が最後引退する時も、いろんな方に声をかけていただいたり、すごく皆さんに支えられながらサッカーやっていたんだなというのを改めて感じました。本当に感謝しています。
自分が何を与えられるか、わからないですけど、これからもサッカーに関わっていくので、少しでも、皆さんに応援してもらえるような振る舞いを、また、やっていければなと思うので、引き続きよろしくお願いします。
———ありがとうございます。ティアモのファンに向けても、一言お願いできますか。
選手も変わって、新しいメンバーになりますけど、去年以上の攻撃的なサッカー、去年よりも粘り強い守備っていうのを目指して、3位、4位という一昨年と去年の成績を超えていけるように、まず半年間2026JFL CUPに向けてやっていきます。
半年後のリーグ戦の開幕に向けて、楽しみの、見てて面白いチームになっていくと思います。
ぜひ、また試合会場で、ティアモのサッカーが見られるのを、楽しみにしていてください。

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「監督に求められていることは、ある程度はできると思えた」と話していた内田さん。
組織の中で求められる役割を理解し、すんなり受け入れ、こなしていく器用さは、今後の人生においても役に立つスキルなのではないでしょうか。
すでに、サッカー指導者に向けて、新たな一歩を進めています。
指導者としての内田達也さんも注目です。


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