

こんにちは!一流のインタビュアーを目指しています、株式会社ママノテのりさです!減っていく労働人口をママノテでサポートする事業をしております。
「枚方この人インタビュー」は、枚方市民や枚方で活動する人をインタビューし、聞き手であるインタビュアーは毎回異なる人選になるというコーナー。その人に興味がある人や専門家が担当する予定です。
今回のインタビュアーは初回に引き続き、株式会社ママノテ・りささんです。
そして今回インタビューさせてもらったのは、枚方産まれ枚方育ちの2児のママ起業家、中島静香さん。

現在個人事業主としてSNS運用代行や動画編集を行っています。
途中で出てくる「私は一度死んでいる」のメッセージが印象的なママ起業家さん。
転機となるアフガニスタン社長のエピソードはとっても面白く、驚きと勇気に満ちています。
ぜひ最後までお楽しみください!
愛されて育った幼少期

それでは中島さん、小さい頃はどんなお子様でしたか?プロフィールをおしえてください。

私は香里園生まれで、幼稚園からずっと招堤に住んでいました。
父方の祖父母と、11歳年上の姉がいる末っ子です。
両親は共働きだったので、幼い頃から祖父母にたっぷりの愛情を注いでもらいながら育ちました。
また、保育園の迎えには姉が来てくれ、家族みんなに支えられていましたね。
今回のインタビューを機に「私はどんな子どもだったのかな?」と母に聞いてみたら、
「人懐っこくて、目立ちたがり屋だったよ」とのこと(笑)
祖父母の家がトラクターや耕運機があるような農家でしたので、田植え、稲刈りなど今考えるといい経験をさせてもらっていたと思います。
小学校・中学校は友達が多く、みんなが遊びに来る家でした。
ピアノ、ソフトボールなどいろんなことをしましたが、いつも好きなことを思い切りチャレンジさせてもらえる環境でした。

産後鬱に離婚訴訟のどん底時代

とても愛情にあふれた幼少期ですね!そのまま順風満帆に?

ここからがもう大変期です。
大学は通える距離でしたが、1人暮らしを始めました。
それまで炊飯器の使い方すら知らなかったので、親のありがたみを痛感しましたね。
専攻は外国語英語学科で、韓国に留学しました。
そこで東方神起にどハマり!
当時、K-POPはまだ日本でブームになっていなかったので、
「私が日本に広めた!」と勝手に思っています(笑)。
しかし、大学卒業と同時に私の人生は大きく変わります。
お腹に赤ちゃんを授かり、そのまま結婚。
当時の彼も新卒で初めての社会人。
私は初めての子育てで、慣れない環境のなかでストレスを抱え、2人目を出産後、やがて産後うつに…
毎日が不安だらけ。
周りの友人は社会人としてキラキラと働いているのに、私は家で孤独。
「この小さな命のすべてを私が握っているのだ」と思うと、その責任の重さに押しつぶされそうでした。
訳もなく涙が溢れる毎日で泣きながら母に電話したこともありました。
無気力で、毎日生きることが辛かった。。
病院に通い少しずつ回復し始めた矢先、今度は離婚問題が勃発。
夫も社会に出たばかりで、家庭と仕事の両立に苦しんでいました。
私のメンタルの不調も相まって、夫婦関係はギクシャクし一緒に居ることで悪いことが起こり始めました。
離婚調停を重ねて、やっと結果がでて終止符を打つ日がやってきました。
家庭裁判所を出て空を見たら、「あぁ、空が青い」そう思ったのです。
この日、私は新しい人生のスタートラインに立ちました。
子どもたちが3歳と5歳のときのことです。

シングルマザーとしての奮闘——ボロボロの団地からの再出発

それは本当にお辛かったですね…その後は実家に戻られたのですか?

いえ、実家にいると甘えてしまうので、子ども2人と3人でボロボロの団地に引っ越しました。
生活費を稼ぐため、ラーメン屋でパートを始めましたが、子どもが小さいと体調を崩すことも多く、頻繁に仕事を休まざるを得ませんでした。
休めば当然、給料は減る。
ギリギリの生活費のなかで、休むたびに収入が減るという恐怖に追われる日々でした。
毎日、保育園の送り迎えと仕事の繰り返し。
忙しすぎて、記憶すら曖昧になるほどでしたね。
そんな中、子どもが小学3年生と5年生になった頃、バツイチ同士の中学時代の同級生とお付き合いを始めました。
結婚に夢もない2人でしたが、彼が大工であるため「子ども達が安心して帰ってこられる家をつくりたい」と言ってくれたのです。
その言葉に心が動かされ、再婚を決意しました。
そして本当に家を建ててくれました。
私の一番愛している子ども達を愛してくれていること、血の繋がりはない子どもとの関係構築について悩みながら向き合って愛してくれていること、ほんと嬉しくて、もう感謝ですよね。
子ども達が寂しくないようにいつもさりげない気遣いをしてくれて、私よりも子供達の気持ちを優先してくれています、そこに惚れました。

もう、嬉し涙でコメントが出てきません……!

ありがとうございます(笑)。

再スタート——パソコン教室から事務職へ

人生が少しずつ落ち着き始めたものの、年齢を重ねるにつれてラーメン屋のパートが体力的に厳しくなってきました。
「このままずっと立ち仕事を続けるのは難しいな……」
そう思い、「事務職ができるようになろう!」と決意。
そこで、パソコン教室に通い始めたのですが、周りはおじいちゃんおばあちゃんばかり(笑)。
でも、アットホームな雰囲気のなか、ほっこりしながら学ばせてもらいました。
その後、八幡市の会社で事務員のパートとして働くことになりました。
ところが、入社してみると……
社長をはじめ、社員も全員アフガニスタン人!
日本人は私1人だけという、なかなかユニークな職場でした(笑)。
でもこの会社は成功していて、ドバイ支店まであるのですよ。
そこでの経験は、本当に衝撃的でした。


「この土地を買っておいて」
「アフガニスタンから人を呼ぶから、大使館でビザ取ってきて」
「新しい会社を設立して」
「子どものお迎え行ってきて」
……仕事の振り幅、すごくないですか?(笑)
インターネットで調べながら、何でもこなしていましたが、そこで気づいたことがありました。
「社長は日本語すら話せないし、外国人にはこんなに多くの制約があるのに、それでも彼らは自由に挑戦している」
そして、ふと考えました。
「私も何かやってみたい!」

自分にできることを探して——令和の虎との出会い

では、自分は何をやりたいのか?
考えたとき、真っ先に浮かんだのは、シングルマザー時代に感じたことでした。
「子どもが熱を出して仕事を休むたびに収入が減る……。家で働けたらどれだけ助かるだろう」
実際、パート先のママたちは、みんな仕事の効率が良かったのです。
子育てで時間に追われているからこそ、段取りが上手で、無駄なく動く。
「ママたちの力を活かせる働き方って、何かあるんじゃないか?」
そんなことを漠然と考えながら、いろんなものを見てみようと思い、たどり着いたのがYouTubeの『令和の虎』でした。
起業したい人が投資を募る番組で、すっかりハマってしまいました。
ある日、とても感動した回がありました。
私と同じ年齢のママが、海外で使った月経ディスクの素晴らしさを日本にも広めたい!と挑戦する姿に心を打たれました。
実際の回がこちら
「この人に会いたい!」
そう思って、DMを送り、実際に会いに行きました!
今でも応援していますし、たまに会うこともありますよ。

動画編集という新たな道——「しーちゃんだからお願いしたい」と言われる存在へ

すごい行動力ですね!そして、ついにやりたいことが見つかったのですか?

いえ、まだ確信は持てていませんでした。
でも、その頃、経営者の集まりであるJC(青年会議所)に誘われ、入会しました。
そこで多くの経営者や社長さんと話す機会を得たことで、少しずつ方向性が見えてきました。


「何をするか」はまだ決まっていないけれど、
「しーちゃんだからお願いしたい」と思われる人間になろう——そう決意しました。
そんな中、Instagramが流行し、私は「元手がかからず、これから伸びる分野」として動画に注目。
動画編集のスクールに通い、技術を学びました。
最初はボランティアでイベント撮影や編集を行い、がむしゃらに経験を積みました。
すると、少しずつ仕事としての案件が舞い込むようになったのです。
【実際に中島さんの手掛けたお仕事がコチラ】


現在「instudio」という屋号で活動しています。
その名前への想いですが、起業当初にお世話になった先輩に「屋号は誰でも読めて分かりやすいものを」とアドバイスをいただき、インスタジオにしました。
インスタグラムとスタジオを掛けて、動画編集を在宅でやる(誰でもそこがスタジオになる)
in studioという想いでつけました。
屋号をとって開業届を出し活動をスタートして1年半が経ちました。
事業経営をしていて心がけていることですが、ネットで探したらこの業界は競合が沢山います。
そんな中私は「しーちゃんだからお願いしたい」と言われる人間になることを大切にしています。
人と人とのコミュニケーションを大切にしていますし、相手のことをよく理解して知る努力をしています。
撮影に行けば熱量はそのなかの社員さんの気持ちを映すものですし、飲み会も参加させて頂きます。
「信頼関係の構築」ってほんと蓄積だと思います。
いわゆる昭和の泥臭い営業方法ですね(笑)


でも長期的な視点を持つとそのような関わり方のほうが絶対に良いですし、私もそんな関わり方が好きなのだと思います。デジタルが進む世の中だからこそ、アナログな部分を大切にしています。
人の心に触れることってそんなアナログから産まれると思うから!
誰かのためになること、人のお役に立つことが大好きなので、もっと沢山の方と出会っていきたいです。
今後のビジョン——困っている人に仕事を提供できるように

怒涛の人生を乗り越えて今があるという感じですね。今後のビジョンを教えてください。

将来ビジョンとしては、
かつて私がボロボロの団地で子供の熱でパートを休んで「家で働きたい…」と思っていたときのような方に対して動画編集の技術を教え、育成をしていきたいですね。
先日、家で仕事をしていたら、娘がこう言ってくれました。
「ママみたいな仕事、いいな」
その言葉が、本当に嬉しかったのです。
これからも「仕事は楽しいもの」だと子どもたちに伝えながら、挑戦を続けていきたいと思います!
SNS運用代行を検討している企業・事業主様、動画編集を外注したいなと思っている皆様
しーちゃんどこでも飛んでいきますのでご相談だけでもお気軽にご連絡くださいね。
こちらのInstagramからDMください。


座右の銘はありますか?

「できる」です。自己流ですみません。
私は本当に大変だったあのときに「一度死んでいる」と思っていて、こうして今在ることだけで何でもできる、いやもう「できている」という感覚があります。
ちょっと不思議な感覚で伝えづらいのですが、何となく伝われば嬉しいです(笑)。

枚方で好きな場所はどこですか?

どこでもできる仕事なので、私いろんな所に出没しますよ!
ニトリモール1階のサンマルクカフェ、枚方市駅前のコメダ珈琲、
枚方モール1階の枚方市観光案内所Syuku56。
そうそう、このSyuku56で自転車レンタルできるのを知っていますか?
気分転換したいときはこのレンタル自転車で枚方公園の鍵屋別館あたりのおしゃれ雑貨やカフェ、意賀美神社をめぐって楽しんでいます♪


中島さん、素晴らしいお話をありがとうございました。
壮絶な人生の荒波にのみこまれながらも、そこから力強く這い上がり、新たな道を切り拓いていく——その姿に、深く心を打たれました。
中島さんの生き方で特に印象的だったのは、「こうなりたい」と思ったときに、必ずそのための学びを実践されていること。
「事務仕事ができるようになりたい」➡パソコンスクールへ
「動画編集ができるようになりたい」➡動画編集スクールへ
ただ願うだけでなく、確かな一歩を踏み出し、着実に積み重ねていく。
その姿勢こそが、彼女を唯一無二の存在へと成長させたのでしょうか。
福沢諭吉の『学問のすすめ』にもあるように、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。
しかし、そこに差が生まれるとすれば、それは「学び続けるかどうか」の違いなのかもしれません。
中島さんの歩みは、まさに「なりたい自分」へと駆け上がる力強い足跡。
涙と感動のストーリー、本当にありがとうございました。

■会社情報■
屋号:instudio(インスタジオ)
サービス内容:インスタグラム運用代行・動画編集
住所:573-1164 大阪府枚方市須山町51-7 ビジネススペース・エンデバー須山3D
連絡先:sk23845192@gmail.com
代表:中島静香(Shizuka Nakashima)
今後も「枚方この人インタビュー」では、地元社長さん・理事長、起業家・経営者・個人事業をしている方々などなど、「なんでこの人はこんなに素敵なのだろう」という人を見つけてその根源・魅力・秘訣を沢山の方にお伝えしていきたいと思います。
インタビューされたい!という方はこちら(枚方この人インタビュー専用LINEオフィシャル)までご連絡くださいませ♪
枚方在住でなくても枚方にご縁がある方でしたらオッケーです。
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