駅前にランドマークの高層ビルが建つ!? 京阪が枚方市駅に力を入れる理由

枚方市駅周辺再整備インタビュー-タイトル
全7回にわたって、枚方市駅周辺再整備について、各関係団体のインタビュー記事をお届けしているシリーズ企画。

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第2回目の今回は京阪ホールディングス株式会社へうかがい、経営統括室 経営戦略担当の大浅田部長にお話を聞いてきました。

京阪 × 無印が枚方市駅をリニューアル
新しい時代の顔となる駅へ

― 2017年11月に発表された、京阪が無印で有名な良品計画とコラボして枚方市駅を2018年にがらっとリニューアルするというニュースはひらつー読者の皆さんの反響も大きいものでした。

良品計画さんをパートナーとして、枚方市駅をリニューアルすることをニュースリリースする際に出した資料が、まさに京阪としての思いなんです。

「えきから始まるまちづくり宣言」というもので、キャッチコピーを「新しいまちづくり 駅からはじめます」と掲げています。

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昨年リリースされた資料より。写真は昔の枚方市駅のようす

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読者さんよりご投稿いただいた地上駅の頃の枚方市駅(1983年の地上駅時代の枚方市駅からみた京阪電車【枚方フォト】より)

「まち」と言うと行政機関が主語みたいに感じる方もいらっしゃると思うんですが、鉄道を軸とする私たち京阪グループからすると、やっぱり「まちをつくってきたのは自分たちだ」という自負があるんです。

それは「権利」ではなくて「責任」だと思っています。

― 京阪グループとしてまちをつくってきた「責任がある」と。

そうです。
枚方市は2017年に市政70周年を迎えましたが、京阪は市ができる前から、何もない所に線路を敷き、電車を走らせてきました。

1969年の牧野付近の写真
読者さんよりご投稿いただいた1969年の牧野付近の写真(1969年の牧野付近の写真より)

京阪電気鉄道は渋沢栄一という人物を創立委員長として開業しました。彼は生涯で約500の会社に関わり、約600の公共事業にも尽力した人で、私たち京阪などの鉄道をはじめ、銀行・保険会社・電力会社・海運・紡績・造船など日本の名だたる企業を作ったんです。

京阪ホールディングス 沿革
京阪ホールディングス沿革より(右の写真が 渋沢栄一 翁)

― とてつもない方ですね。

当時、財閥は◯◯系という派閥を大事にしたんですが、彼は一切それをせず、公益のために民間企業はあるんだと主張したようです。

京阪に関して言うと、もともと対岸に国鉄、今のJR東海道線が走っていたんですね。彼は「京都、大阪の京街道沿いにも鉄道を作るべきだ」と三十石船に代わる鉄道を敷くことを国に提案するんですが、二回却下されて、三度目の正直でやっと認可されたのが京阪本線なんです。

― 二回も却下されているんですか?

そうなんです。淀川の北側に鉄道が走っているから、いらないんじゃないかと。なぜ淀川の両岸に鉄道を敷かなければならないのかと。それを三度目の正直でくつがえした。

そこまで渋沢栄一が「淀川の左岸にも鉄道は必要だ」と主張したのには理由があって、やがて九州も栄えて東海道線がパンクすると予測していたんです。

だから淀川左岸の京街道に点々とあった宿場町をつなぐ鉄道がいるんだと、1906年、今から112年も前に考えて京阪電気鉄道を創立させたんです。

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現在の枚方市駅と南口駅前広場

― 明治の時代に、そこまで予測していたんですね。

そういうDNAをもっている会社ということもあって、まちは私たちが責任をもってどんどん進化させていかないといけないんじゃないかという考え方なんです。

枚方はトガッていたまちだった

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50年ほど前の枚方は、非常にトガッたまちだったんですよ。

今のロータリーができたのも枚方市駅前市街地再開発事業によってできたんですが、当時は全国でもかなり初期の先進的な事例だったらしいんです。

「郷土枚方の歴史」 P263より
昔の枚方市駅南側のようす「郷土枚方の歴史」 P263より出典(「郷土枚方の歴史」に掲載されている昔の枚方の色々な写真より)

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現在の枚方市駅南側にあるサンプラザ1号館(写真右)と枚方T-SITE(写真左)

― そういった駅前再開発の歴史があるんですね。

これから、主要国一とも言われる「人口減少社会」に向かっていくという局面になり、これまでの高度成長期とは違う次の時代に向かった「まち」あるいはまちの顔となり玄関となる「駅」というものを考え、進化させていかないといけない。

それが今、私たち京阪の思いなんです。

― 枚方市駅はリニューアルによって「新しい時代の顔となる駅」になるんですね。

そうです。枚方市駅は「新しいまちづくり 枚方市駅からはじめます」ということで「いつも使いたい、一度は行ってみたい駅」というキャッチコピーを掲げています。

この資料の写真は昔の枚方市駅のようすで、我々40代後半ぐらいの世代が子どもの頃の枚方市駅はこういう景色でした。田中邸のむくの木がちょっと写っています。

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写真上部に小さく写っている「枚方田中邸のむくの木」を指差す大浅田さん。

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こちらが現在の枚方田中邸のむくの木。大阪府の天然記念物にも指定されています

「いつも使いたい、一度は行ってみたい駅」は何気ない文章なんですが二つの意味が込められていて、「いつも使いたい」ということは「そこに住みたい」という、生活の駅として使いたいというところ。

「一度は行ってみたい」というのは観光やお買い物、レジャーを目的として枚方市駅に訪れていただくということです。

枚方市駅パース改札口側
枚方市駅中央改札口のイメージパース

枚方市駅直結のデルタ地帯


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京阪グループの2017年度までの中期経営計画では「沿線再耕」や「観光創造」を主軸戦略に掲げています。その要素が枚方市駅リニューアルのコピーに込められています。

― 枚方市駅が京阪グループにとっても重要な場所と考えられているということですね。
もちろんその通りです。駅だけでなく枚方というまちが「沿線再耕」も「観光創造」も両方の要素がある場所なんです。

枚方に住む「定住人口」と、よその市から観光やお買い物で来る「交流人口」の両方を増やさないといけないというのが、私たちなりに今の枚方の課題を分析した上での命題なんです。

「駅」という視点で考えてもそうなんですが、イコール「まち」として考えても、やっぱり当てはまると思うんです。

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現在の枚方市駅と南口駅前広場

― そろそろ先ほどから気になっている模型についても解説いただければと…

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枚方市駅周辺の模型。写真中央の高いビルの模型があるところが京阪の土地である「デルタ」部分

まさにこの灰色の模型の部分が、私たちが具体的にプランニングしている「デルタ」と呼んでいる三角地帯のところです。このデルタは京阪の土地なので、ある意味ではここさえちゃんとやればいいんですが、それだけじゃだめだよねと。

やっぱり全体のバランスも含めて「いいまち」にしないと、「いつも使いたい、一度は行ってみたい駅」の二つは満たせない、という考え方です。

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天野川側から枚方市駅側を向いて撮影したデルタ地帯

― このデルタ部分、現状ではまだまだ使える土地がありますよね?

更地に近い状態です。

まだこれから詳細は詰めていくんですが、例えば今、女子大生が選ぶのに困るほどかわいいスケジュール帳も駅にそろっていないなど、実はまだまだ枚方市駅に不足している商材があると私たちは考えていますので、そういった店舗を揃えたり、オフィスを誘致したりしたいと思っています。
詳細は計画が固まり次第オープンにしていけると思います。

枚方市民の地元愛が強い理由

― 大浅田さんは枚方が地元だと伺いました。枚方市民の方の地元愛が強いのはなんでだと思いますか?

「超ひらパー兄さん」なんてその最たる例ですよね。

やっぱりそれは天野川があって淀川があって、生駒山が見えて…という住みやすさ、環境みたいなのものはあると思いますね。京橋に交野線沿線でも30分で行ける一方で、家に帰って来たら、5月下旬頃になればカエルの合唱が聞こえるという。

京阪の社員でも大阪中心部から20~30分のところに住んでいるメンバーで、家の周りでカエルの合唱が聞こえる人はなかなかいない。これは枚方の特徴のひとつだと思いますね。

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京阪村野駅近くの踏切からのぞむ田んぼ(→ただの枚方 No.147 村野の夏 より)

― なるほど。

同席した経営統括室 経営戦略担当の女性(以下、京阪経営戦略担当者):なぜ枚方が好きな人が多いかという話で、第三者的な立場から思うのは、大浅田が子どもの頃、枚方はかなり先進的なまちで、大阪や京都に出なくてもこのまちですべてが完結していたと思うんです。

よく言うと便利なまちだったし、外に行く必要がなかった。暮らしやすいですし。

その当時は百貨店が2つもあって、すごいでしょ!ここはみんなが来るまちや!っていう思いが強かったんじゃないかなと。

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昭和43年オープン当時の三越(昭和43年に「枚方三越」がオープンした当時の写真や新聞記事 より)

(京阪経営戦略担当者):それで、枚方のまちに誇りを持つ親に育てられた子どもたちが成長していって、小さい頃から何か欲しいと言えば「それやったら枚方のどこどこに行ったらええやん、なんでもあるで」というような経験がずっと頭のどこかに残っていて、それで皆さん「ええまちやん」となっているのかなと思いますね。

それこそ今、子どもをもつ親のお父さんお母さんがいい意味で洗脳していったみたいな部分があるのかな、と。

― 大浅田さん、どうですか?(笑)

なるほど…。第三者の視点も大事ですね…。(笑)

(京阪経営戦略担当者):新興住宅地も多かったから、当時はまち全部がピカピカだったと思うんです。

― それが今から40〜50年くらい前ということですね。

(京阪経営戦略担当者):そうですね。その頃に育ってきた世代がみんな枚方は「ええまちや!」って思っていて、その時のキラキラを覚えているから、もう一度キラキラを作りたいという思いがあって、枚方をなんとかしたいという思いが強くなっている気はします。
一方でキラキラを知らない20代30代は枚方を出ていってる現状もあると思います。枚方で生まれ育ったけれど当時の「すごいだろ!」というのを知らないし、体感していないので。

― 再び大浅田さん、どうですか?

確かにそうかもしれませんね。

僕たちの世代はまさにライフスタイルの変化の波の中で、わりと最先端をいかせてもらえていたんですよね。蔦屋書店ができて、レンタルレコードの白いカバーを片手に、チャリンコ乗るっていうのがなんかちょっとかっこよかったんですよ。たぶんそれがキラキラだったんだと思います。

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蔦屋書店の前身「LOFT」が入っていた枚方駅前デパート(1988年(昭和63年)の枚方駅前デパートと万年寺山の踏切と1975年(昭和50年)のひらパーの写真 より)

家に帰ってきたように感じる
「感じのいい駅」へ

―  話を枚方市駅に戻そうと思うのですが、良品計画さんとのコラボについて詳しく聞かせてもらえますか?

人口減少の問題や、今10代の高校生くらいの子がやがてお父さん・お母さんになる時に、どんな生活をしたいか、というようなこともこれから考えていかないといけない。

そう考えた時に、無印良品の良品計画という会社は「感じ良いくらし」の提案というのを理念としているんですよ。だからちょうど私たちが考えている、「こんな駅でありたい」という思いとマッチするんです。

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京阪の「CORPORATE REPORT 2017(→PDF)」には京阪ホールディングスの加藤社長と良品計画の金井会長の対談が掲載されています。

― 超最先端なシャレた駅というよりは「感じのいい駅」だと。

駅の改札口を出たらおうちへ帰ってきたように感じる、これが僕の駅、私の駅というような駅にしたいですし、そういうまちをつくっていきたいなと。

まちの広がりの可能性
成功すれば全国でも稀有な例に

― こういった各駅周辺のまちづくりというのは、京阪が創立してからずっと考え続けてきたということですね。

まさにそうですね。

ー 枚方市駅を含めたまちづくりのことも考え続けてきた、と。

はい。枚方市って実は地形がすり鉢状で、平地が狭いんです。丘が付く地名がすごく多いでしょ?

枚方市に住んでいる人の大半はこの丘陵の上に住んでるんです。だから必ず枚方市駅に行く時は坂を下りるイメージがどこかにあると思うんです。

― ありますねー。市駅まで自転車で行く時は早いんですが、逆に帰りが大変です。(笑)

実はまちは平地にしか広がらないんですよ。そういった地形的な特徴を考えて、いろんな機能を配置しないといけないんですが、唯一平地が広がっていく方向に官公庁団地があることでまちの広がりや人の流れが止まっていると考えています。

あのあたりから枚方市駅までは歩いて10分ほどなんで、もっと住宅地などが広がっていても本当はいいんです。

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枚方警察署交差点から官公庁団地をのぞむ

おそらく全国的に見ても40万人都市の中心で、駅の乗降客数が10万人弱の駅前を、これだけの規模で再整備できるまちはないんですよ。

― ということは、枚方市駅前の再整備が成功すると全国でも稀有な例になりますね。

そうですね。枚方市駅は駅前に公有地が多いので、今回の大規模な再整備ができるんです。普通は民地が広がっているので、そんなに大規模でやろうと思ったら地権者が何人いるんだという話になります。

先人たちが今のまちをつくって、残してくれたからこそ、再び進化させるチャンスがあるのです。

ランドマークのビルが建つ可能性と
まちの顔作りの必要性

― 将来の枚方市駅前について、京阪さんはどんな理想を持たれているんでしょうか?

概念的なお話は先ほど申し上げたように定住人口や交流人口のことが前提としてあって、もうちょっと具体的に、じゃあどんなエリアができるのかという話になっていくと、私たちはやはり、各エリアのエッジを立てていかなきゃいけないと思っているんです。

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このビルは120mぐらいあるんです。商業とかオフィスとか行政機関など都市機能を集約することを検討しています。

このような、全国からも視察に訪れるようなランドマークとなる駅直結の施設を実現できるよう、行政をはじめ関係各所と協議を重ねています。上層階からは枚方市内はもちろん、大阪市内や京都市内を一望できるでしょう。

(京阪経営戦略担当者):柔らかい言い方をすると、駅を下りた瞬間の景色を見た時に「うわ、住んでみたい!」「気持ちいい!」と思ってもらえるようなまちにしたい。それが「まちの顔づくり」だと思っているんです。

枚方市にはこれといった顔がないと思うんです。ひらパーの観覧車やくずはのタワーシティが画像でもよく使われますが、そういうものではなくて「枚方といえば!」という、例えば駅前広場から真っ直ぐに公園が広がって緑が豊富で…というような顔が必要だと思っています。

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京阪HD 枚方市駅周辺イメージイラスト

(京阪経営戦略担当者):交通弱者がどんどん増えていく中で、郊外の道路沿いばかりにお買い物をする所が増えても、生活ができなくなっていく方もいると思うんです。そういう方も、枚方市駅まで来ればなんとかなるというような駅前づくりが理想的ではないかと考えています。かつての市駅がそうであったように。

足腰が元気な人には、ちょっと歩いた所にきれいな環境を見ながら住んでもらい、それがさっきの大浅田が経験したキラキラの話じゃないですが、子どもたちがきれいになったまちを見て育てば、その子たちが大人になった時にはやっぱり「このまちが好き」って思ってもらえるのかなと。

そういった循環を作っていくためにも枚方市駅周辺にシンボル的なエリアを作ることで枚方に住みたいと思ってもらえるのかなと。

― そこで京阪さんが力を入れる場所としては枚方市駅と「デルタ」になっていくと。

かつ私たちの土地じゃないところとも連携することで、よりそういう魅力あるまちをつくれるんじゃないですか?という提案ですね。

まちづくりの将来像(イメージ)
京阪HD まちづくりの将来像(イメージ)

枚方市駅を降りればセントラルパーク?

― 枚方市駅周辺のそれぞれの場所に、それぞれの魅力を出していこうと。
そうですね。

枚方に住んでいる人が枚方を好きな理由として、それぞれ心象風景をいくつか持っていると思うんです。

天野川を車で走ると見える生駒山がスカーッと抜ける景色が好きとか、万年寺山から見る景色が好きとか、淀川の夕景色がたまらないとか、市内のどこからも交野山や高槻の方の山が必ず見えるとか。

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万年寺山 御茶屋御殿跡から淀川をのぞむ風景

私が子どもの頃には三越の上にゲームコーナーやパノラマ大食堂があったんですが、そこから淀川がすごくきれいに見えたんです。駅を見下ろして、電車やバス、車、人が行き来して、まちが動いているのを眺めながら百貨店でごはんを食べて帰るという、そういう心象風景があったんです。

今は枚方市駅を通過しているだけの方も多いと思うので、それはちょっと残念だなと思いますね。

― 枚方市外の人がふらっと今の枚方市駅に立ち寄ったら、駅前がごちゃごちゃしているような印象を受けるかもしれないですね。

それが駅前広場から緑化軸が通ると、電車でたまたま通過している時に見たら、すごいセントラルパークがあっていいまちだな、今度来てみようかな、とか住んでみたいな、と思うはずで、それが顔ですよね。

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京阪HD 枚方市駅周辺イメージイラスト

― セントラルパークというのは?

岡東中央公園。中央公園って英語にすれば「セントラルパーク」でしょ?

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岡東中央公園(okahigashi central park)

― あ、なるほど。確かにそうですね。(笑)

駅に関して言いますと、乗降客数が10万人を超えてくると、都心部にしか出店しないテナントも誘致しやすくなります。

今は枚方市駅の周りには、ほとんど居住者がいないんです。大垣内町2丁目と川原町で人口を数えると600人くらいです。駅の北側はすぐ淀川ですし。

なので私たちは官公庁団地のあるあたりに、比較的購入しやすい価格帯のレジデンス(マンション)、しかも “枚方ライフ” を象徴するような住居ゾーンを展開すれば、30代くらいの若い世代の方々も住むんじゃないですかという提案をしているんです。

枚方市の人口は、大幅な減少はないものの、実は20代後半から30代の各年齢の人口に占める割合は、全国よりもかなり低いんです。

枚方の活性化のためにはこれが課題だと考えています。

そして駅周辺の居住者が増えると、自ずと乗降客数が上がってくる。そうすると、今まで梅田にしか出店しなかったテナントも、枚方に出店を考え出す。

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枚方のベンチマークとして参考にされるという二子玉川の高層マンションたち(枚方にもこんな場所があったらいいな!?スゴすぎて帰りたくなくなった日帰り弾丸ニコタマ旅。蔦屋家電に屋上菜園【ひらつー番外編】より)

― まちが活気づいてくれば「あのお店が枚方に?」というような、うれしい驚きがどんどん出てくるかもしれないと。

そうなってくると、約50年前の三越や丸物が駅前にあった枚方の進化版ができると思います。

― 色々とお話をうかがってきましたが、京阪さんの枚方市駅周辺再整備に対しての力の入れ具合は星5個中でいうと、いくつでしょうか?

そうですね…このインタビューも「130いいね!」くらいは欲しいですね。(笑)

― 単位が変わっています。(笑)
実際のところ、デルタにランドマークのビルが建つ実現可能性はどれくらいなんですか?

そこはですね…むしろ、「なんとしても実現させる」っていうそういう表現かなと思っているんです。

このままではどんどん人口も減っていきますし。

― そういった問題に対して再整備するんであれば、これぐらいの規模のことをドンとやって、また輝きを取り戻す…

そのために、実現できる方法を考えましょうということですね。

「沿線再耕」という軸を打ち出している中で、今この業務をやりながら身をもって感じているのは、地元の方々と一緒に考える、あるいはディスカッションしていくことが、それ自体が実は「沿線再耕」なんだということがわかってきました。

京阪もまちづくりをやっていますが、樟葉駅前は京阪所有地も多く、ある程度自由がききました。ですが、枚方市駅の場合はいろんな関係先もある中で、地元の方々と「どんなまちがいいんだ?」と話し合うことが大切だなと。

「新しいまちづくり 駅からはじめます」というキャッチコピーは、「京阪はまず駅をやる」というメッセージなんですが、そこは社長の加藤が強い思いを持っていて、「全部同じ駅をつくるのとは違う」と。

それぞれの駅の歴史であったり地域性、それをちゃんと考慮しながら駅を変えていく、これが私たち京阪グループのやることだと。

― パッケージに入れ込むのではなく、枚方市駅には枚方市駅の歴史があってまちの人の思いがあるから、じゃあこういう形にしようっていうことですね。

そうです。だからデルタに建つランドマークとなるビルに展望フロアができるとすれば、そこは「平成の御茶屋御殿」と名付けよう!とか言っています。(笑)

(京阪経営戦略担当者):建つ頃には平成は終わっていますけどね…。

― ホントですね…(笑)

ほんまや!冷静やなー!(笑)

まちに必要なのは多様性

― 再開発に関して、市民の皆さんの意見などは取り入れるんでしょうか?

施設を作る時に皆さんの意見に耳を傾けることはとても大切なんですが、何でもかんでも取り入れすぎると、結局薄まってしまって角がとれてしまうんです。世代によっても求めるものも違いますし。

ですから、例えばエリアマネジメントの「次世代の枚方市を考えよう」みたいなイベントなどに市民の方も参画してもらって、パネルディスカッションなどはどんどんやるべきだと思います。

やはり、まちには多様性というものが必要だと思うんです。

どうしても企業というのはマーケティング、ターゲティングをしてやっていくので、そうなってくると多様性よりもむしろフォーカスされたことをやってしまいます。

でも、実はまちには多様性が必要で、神社のお祭りなどは企業の偉いさんもいれば、やんちゃなお兄ちゃんもいて、お祭りの時だけは裸になって一緒にやるという、あれは日本の本当にいいところだと思うんです。

まちづくりにも日本の良さである多様性は取り入れないといけないと思います。

枚方まつり2016一日目-60
枚方まつりでのふとん太鼓のようす(→詳しくはコチラの記事で

― 枚方市駅周辺の再整備によって、画一的なパッケージのまちになるわけではなく、多様性を残しながらも、またワクワクするようなまちを作っていくべきだと。

そうなってくると、枚方を好きになった親世代が移り住んで来て、またその子どもたちがそれを受け継いでいく。オシャレなお店もある、セントラルパークもある、でも田中邸のむくの木も見えているという。

香里団地や松井山手に住んでいる人たちも枚方市駅にお買い物に来る、高槻からもちょっと行ってみようかなと思える場所にできると思います。

商業施設などのモールも・・・
また話はそれるんですが「モール」という言葉は京阪が最初に使ったことはご存知でしたか?

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くずはモール

― え? そうなんですか!?

モールという言葉は、実は京阪が日本で初めて使ったんです。
京橋の京阪モールは昔「京阪ショッピングモール」という名前だったんですが、その時に名前に「モール」を付けたのが京阪なんです。

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昔のくずはモール(1974年(昭和49年)のくずはモール・ひらかたパークの写真、2006年の樟葉駅付近の3000系の写真 より)

「モール」は元々「木陰の散歩道」という意味なんですが、レンガ造りの散歩道沿いに専門店などが立ち並ぶ形状の郊外型施設を日本で最初に作ったのは「くずはモール」だったんです。さらに「スーパーマーケット」という言葉を使ったのも京阪が日本で最初なんですよ?

― え!?スーパーマーケットって、それはさらにすごいんじゃないんですか?

京橋の駅構内で薬や食料品などの専門店をスーパーマーケットという名前でやったんです。

今言ったことは、実はくずはモールのSANZEN-HIROBAに京阪の歴史をまとめた年表に書いてあります。日本初や世界初だけを写真付きで大きく取り上げて、Civic Pride(市民が誇りに思う心)の一つにしていただこうと思ったんです。

SANZEN-HIROBA

くずはモール ヒカリノモール1階にあるSANZEN-HIROBA

― たしかに歴史を知ることで、住んでいる人は誇りに思えますね。

そうなんですよ。出町柳や淀屋橋で座席がバッターンって向きが変わる「自動転換クロスシート」は、SANZEN-HIROBAに展示されているテレビカーが世界初だったり、とかね。

京阪テレビカー

― 京阪に乗っている人には当たり前の光景ですよね。

そういう、くらしの中で目にするもの、感じるもの、利用するもの、一つひとつが誇りに思えることでCivic Prideが醸成されていくと思うんです。まさに「地元愛」です。

そのためには、色んなものがないといけない。

商業施設で言えば、モールだけではなく、定休日もあるけれど地域に根ざした地元で愛されるお店もまちには必要で、そういうお店が枚方市駅前のセントラルパーク付近にあって、ワンちゃんのお散歩ついでに寄ったりできるといいですよね。

― それぞれの場所で、それぞれの個性が光ればいいと。

そう。そうすることで枚方市駅に行く頻度が上がりますし、ブラブラ歩いてみたくなる。まさに回遊性の向上です。

― 1回じゃ楽しみきれない場所になっていくということですね。

50年前の枚方は三越があって丸物があって、長崎屋もあったし、ビオルネのところにあった商店街には昔ながらの魚屋さんがあって、ぐるぐるハエ取りが回っていたわけですよ。(笑)

― そういういろんな要素が詰まっているから、まちとしてのおもしろさがあると。

それが多様性ですね。
だから川原町はやっぱり川原町であるべきなんですよ。ちょっと繁華街みたいなね。

川原町商店街

川原町商店街

― いろんな人が住むからこそ、場所の多様性も必要だと。
そういったことは私たちだけではできないので、行政機関をはじめ、他の団体や会社さんと、そういう多様性のあるまちを役割分担してつくりましょうよっていうことなんです。

― 最後に京阪さんから枚方市民の皆さんにメッセージをお願いします。
京阪のロゴの上に「こころまち つくろう」と書いているんです(電車の車体など、書いていないバージョンもあります)。

これはブランドスローガンと呼んでいるんですが、ダブルミーニングになっていて、「こころのあるまちをつくろう」という意味でもあると共に、ワクワクするような「心待ち」をつくろう、という二つの意味があるんです。

KEIHAN-logo

― なるほど。

ですので、枚方市駅周辺のまちづくりをワクワクしながら「こころまち」にしていただきたいですね。

― 素晴らしい締めの言葉になりました。

京阪鉄道1-17121320

ここは考えていましたので。(笑)

これも枚方にポテンシャルがなければ京阪もそこまでできないわけです。私たちは、枚方にはポテンシャルがあると思っていますし、それはずっと枚方に住んでる私も十二分に感じていますし、外から来た人も感じているので再開発をやろうという話で進んでいます。

その枚方のポテンシャルを、これからも掘り起こしていきます。

(了)

以上、枚方市駅周辺再整備について、京阪ホールディングス株式会社 経営統括室 経営戦略担当の大浅田部長にお話をうかがいました。

次回は北大阪商工会議所のインタビューをお届けします!

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